幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

大人視点で菊を嗜む。

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今年も重陽(ちょうよう)の節句(9月9日)がやってくる。

1月1日の元日や、3月3日のひな祭り、5月5日の子どもの日、7月7日の七夕ほどの知名度や分かり易い華やかさのようなものはないのかもしれないけれど、

五節句の中で一番、大人ならではの楽しみを好きにチョイスし、自分のペースで楽しむことができるのが重陽(ちょうよう)の節句であるように思う。

私は、可愛らしいピンポンマムという品種の菊の花と日本酒を楽しむのが定番である。

菊湯も捨てがたいのだけれど、美しく咲いている菊を一瞬にして茹で菊にしてしまうことを躊躇することもあり、こちらは気が向いた年に楽しむに留まっている。

先日、知人とそのような話をしていると、「菊に良いイメージは無い」と言われてしまった。

菊と言えば、弔事のイメージが先行するのかもしれないけれど、菊はそれだけではないのである。

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本日は、重陽(ちょうよう)の節句前日というタイミングですので、これまでとはまた少し異なる角度から、菊のお話を少しと思っております。

ご興味ありましたら、重陽(ちょうよう)の節句先取り気分でお付き合いいただければと思います。

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重陽(ちょうよう)の節句そのものについては、過去記事でも何度も触れておりますが、この日は重陽(ちょうよう)の節句という呼び方以外にも、菊の節句という呼び方もあり、

簡単に言うならば、菊を使ってこの日を祝って、邪気を祓って無病息災や長寿を祈りましょうという日です。

菊は、中国から伝わってきた花ですが邪気を祓うことができる聖なる植物という扱われ方以外にも、漢方薬として使われたり、虫除けとしても重宝されてきた花です。

今でも食用菊があり、お刺身などに添えられることもありますけれど、この食用菊の中でも延命薬と名付けられている食用菊は味が良いことで有名だといいます。

パッと見てそれが延命薬なのか私は判断できないのですが、特徴は、紫色に白を混ぜて淡くした色がそれなのだとか。

しかし、延命薬という名を持っていながら「もってのほか」という俗称で親しまれているといい、その理由は、もってのほか美味しい食用菊だという意味からそう呼ばれているとか、天皇家の家紋である菊を食べるなんてもってのかだという意味から呼ばれているなどといった説があります。

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確かに、弔事にも使用される菊なのですが、不思議な力を持つ花で、薬効もあり、天皇家の家紋に使用される花で、吉祥文様としても大切にされているお花だからこそ、大切な節目に使われているというお花のような気がいたします。

この時季は、毛糸でできた、まあるいポンポンのようなピンポンマムがおすすめですが、マーガレットのような雰囲気をまとった小ぶりな菊も素敵かと。

ここへ足を運んで下さっている皆さんは、菊が素敵なお花だからといって弔事用としてアレンジされたものを、それ以外の用途で使うようなことは無いと思いますので、

是非、用途や季節に合ったお花との組み合わせで、菊を嗜んでみてはいかがでしょう。

菊も偏った視点からではなく、色々な視点から自由に愛でてあげてくださいませ。

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新蕎麦の登場を待ちつつ、お蕎麦のちょっとイイ所をチェックしてみませんか。

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そろそろ新蕎麦。

今年も、そのような声を耳にする季節になった。

お蕎麦は年に2回、初夏と秋に旬がある。

10月中旬から下旬辺りに収穫された蕎麦の実で作られたお蕎麦は「秋蕎麦」や「秋新(あきしん)」の名で親しまれている。

私は夏蕎麦(夏新とも)も秋蕎麦(秋新とも)も、同じくらい香り高くて美味しいと思っているのだけれど、お蕎麦に詳しい方々の話を聴いていると、これから旬を迎える秋蕎麦(秋新)は、夏のそれよりも蕎麦の旨味や香りが高く味わい深いときく。

同じ時季に、その双方を食べ比べることができれば、違いを感じられたり、自分の好みを知ることもできるのだろうけれど、お蕎麦ツウへの道はまだまだ遠いようである。

しかし、視点を変えれば、いつの時季のお蕎麦も美味しく堪能できるのは、これはこれで、ちょっとお得ではないだろうかとも思う。

毎年、この時季になるとお蕎麦の話題に触れているような気がするのだけれど、今年は、お蕎麦に豊富に含まれているマグネシウムのお話を少し、と思っております。

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マグネシウムは、私たちの体を健やかに保つために欠かすことができないミネラルのひとつで、これが不足してしまうと、血圧の上昇や不整脈を引き起こしたり、骨粗鬆症や糖尿病、心疾患のリスクが高まることもあると言われている。

それならば、サプリメントで効率的に補っておけば安心と思いがちだけれど、私たちはサプリメントだけを食べて生活しているわけではないため、日々の食事内容とのバランスを考慮しなければ過剰摂取になってしまうこともあるのだ。

食事から摂取した過剰分程度であれば、自然に体外へと排出されて体内バランスが整えられるけれど、サプリメントによる過剰摂取状況が続くと、

人によって現れる症状に違いはあるけれど、お腹が緩くなったり、血圧が下がってきたり、吐き気、筋肉が弱くなるといった不調が現れることもあるという。

欠かすことができない栄養素なのに摂りすぎてはダメだなんて、何だか難しいと感じるけれど、食生活をほんの少し意識するだけで、必要な栄養は摂ることができるように思う。

どちらが良い悪いではなく、必要に応じてサプリメントの力を借りることもひとつの手。

だけれども、何も知らずにただ摂取し続けることがどうなるのか、ということは予め知っておいて損はないのである。

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マグネシウムの働きっぷりは過去記事でも少しずつ触れているのだけれど、キリがないほど様々なことに関わって働いてくれているため今回は割愛して、お話は、どのような食材を食べれば効率よく摂取できるのかという方向へ。

勘が鋭い方は冒頭の話題でピンッときたかもしれないのだけれど、お蕎麦には、このマグネシウムがたっぷりと含まれているのだ。

もちろん、様々な食材に少しずつ含まれているし、その中でも鰯や絹ごし豆腐、海藻類は特に豊富に含まれているという。

しかし、それなりの量を食べなくてはいけないので、日頃のメニューに少し足すことで大幅な不足状態を招かないようにする食材という位置づけかと。

一方のお蕎麦は、美味しく一人前をいただくだけで1日に必要なマグネシウムの1/3ほどを摂取できる食材だと言われているので、

お嫌いでなければ、しっかりとマグネシウムを補給する日のメニューにお蕎麦を選ぶのも良いように思う。

温かいお蕎麦であれば、ここにワカメなどの海藻をトッピングしたり、別添えで海藻を入れた酢の物や冷奴を付けるのもあり。

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これから、年に一度のお楽しみである、香り高い秋の新蕎麦(秋蕎麦・秋新)が登場します。

秋の味覚を堪能しつつ、美味しくマグネシウムを補給して、細胞レベルから秋を満喫できる体作りなどいかがでしょうか。

暮らしを楽しむきっかけにしていただけましたら幸いです。

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どのような世界にも器用、不器用はあるようだ。

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ひと息ついでに、マンションのエントランスホールへ郵便物を受け取りに行くと、顔見知りの管理人さんがフロアの一角にしゃがみ込んでいた。

声をかけると、下手な蜘蛛の巣があると言って手招きするものだから、「ん~蜘蛛は苦手なんです」と心の中で呟きながら恐る恐る、下手な蜘蛛の巣とやらを見にフロアの一角へ近づいた。

管理人さんの背中越しに蜘蛛の巣を覗き込むと、管理人さんは、持っていた霧吹きの水をそれに吹きかけた。

蜘蛛によって張られた巣に水滴がつき、全体がくっきりと浮かび上がった。

パッと見たくらいでは、それが下手なのかどうか私には判断できないけれど、下手な蜘蛛の巣だと言われてから見ると、所々が抜け落ちていたり、つなぎ目の場所が大きくズレていたりと、不格好だと言えば不格好な蜘蛛の巣のようにも見えた。

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管理人さんの見解を聴いていると、会話を交わしたことはないけれど、確かにここの住人だと互いに認識できている方が加わり、3人でその不格好な蜘蛛の巣を覗き込む事態となった。

その場から抜け出すタイミングを伺っていると、3人目の方が、蜘蛛と呼ばれる全ての蜘蛛が巣を張ることができるわけではなく、あの繊細な巣を作ることができるのは、全体の半分ほどの蜘蛛だけだと切り出した。

じゃぁ、どうやって獲物を捕まえているのだろうかと思っていると、蜘蛛の巣を張ることができない蜘蛛は、地道に周辺を右往左往して何かしらの獲物を捕まえているとのことだった。

蜘蛛と呼ばれるものの全てが蜘蛛の巣を作ることができるわけではないということは初耳で、とても興味深いことではあったのだけれど、

ワタクシ個人の気持ちとしては、その方がどのような経緯で、そのことを知ることになったのか、そちらの方に興味が沸いていた。

蜘蛛の話をしていると、また一人、蜘蛛談義の輪に入ってきたため、私は「今だ!」と静かにその場からフェイドアウトした。

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蜘蛛は蜘蛛の巣を張ったあとは、獲物が巣にかかるのを寝て待つばかりだと思っていたのだけれど、約半数の蜘蛛は地道に動き回って獲物を捕らえていると知り、蜘蛛の世界も甘くないのだなと思った。

そして、巣を張ることができる蜘蛛の全てが、キレイな六角形の巣を張ることができるという訳でもなさそうなところを見るに、蜘蛛の世界にも器用、不器用があるのかもしれない。

世の中、知らないことだらけ。そう思った出来事であった。

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ブラウンカラーから“ワタシ”を感じる。

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景色の色合いが徐々に秋らしさを増してきた。

パッと目を惹くビタミンカラーから落ち着きを感じられるアースカラーへのシフトである。

まだ夏の残り香のような暑さは残っているけれど、その落ち着きある色味に日差しが当たっているところを目にすれば、気分は自然と秋へと誘われる。

今回は、これから目にする機会が増える色、ブラウンカラーが人に与えるあれやこれやのお話を少し、と思っております。

以外にも好き嫌いが分かれる色なのですが、自然界に多く存在している色のひとつで、無意識に常日頃から触れている色でもありますので、「色」にご興味ありましたら、お好きな飲み物片手にお付き合いいただければと思います。

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ブラウンと言っても迷彩度が異なる様々なブラウンがありますが、一般的に言うブラウンは、オレンジ色やレッドといった温かみを感じる色にブラックを混ぜた色です。

お洋服の色で自分に似合うブラウンと全く似合わないブラウンがあると感じている方は、ブラウンに含まれているオレンジやレッドの配分や、どちら寄りのブラウンなのか、あとはそこに加えられているブラックの分量や迷彩度の違いによって似合う、似合わないが出ることがあります。

一口にブラウンと言っても、多分ざっと1000色以上は作ることができるはずですので、ブラウンカラーは似合わないけれどブラウンカラーのお洋服を着てみたいと思っている方は、

根気よく、ブラウンカラーを試着できる機会があれば片っ端から試着して、自分に合うブラウンカラーを探してみるのも手かと。

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脱線してしまいそうなので、お話をブラウンカラーに戻しますけれど、

ブラウンカラーは、グリーンと同じくらい自然界に多く存在する色なので、人が目にしたとき、触れたときなどには自然と安心感や温かみ、癒しなどを与えます。

一見目立たない地味な色にも見えるのですが、人や空間、暮らしや人の気持ちにすーっと溶け込む不思議な色でもあります。

ただ、このさり気なさといいますか、詫び寂に通じる雰囲気といいますか、なかなか高度な色なのでブラウンカラーの良さに目覚められるのは、ある程度の年齢を重ねた大人だという見方をする専門家の方もいらっしゃいます。

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ブラウンカラーは落ち着きを持った色なので、気持ちが落ち着いているときや忍耐力があるときに手が伸びやすいです。

また、好きな色にブラウンカラーを挙げる方は、落ち着いた雰囲気を放っており、自分の考えもしっかり持っていることが多く、周りの人の緊張を知らぬ間に解していることも。

一見大人しそうに見えても、必要であればしっかりと自己主張することもできるので、周りを驚かせることもあったりするのかもしれません。

このような性質をもったブラウンカラーですが、ブラウンカラーは好きだけれど、どういうわけか最近は惹かれないと感じているときというのは、

気持ちの奥底で、様々なことにトライしてみたい、何か新しい変化が欲しいといったことを感じているサインであることも。

変化を望むときというのは成長したい気持ちの現れでもあるので、自分と向き合ってみるのもよいのではないでしょうか。

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色が持つ効果を知って色の力を借りることもできますけれど、私たちの中には既に、必要なものを欲するセンサーがあります。

普段は惹かれない色に惹かれたときには、その気持ちを優先すると違う景色を見ることができるかもしれません。

毎日使う歯ブラシの色で必要な色の力を受け取るも良し、気軽に楽しみながら色と触れ合ってみてはいかがでしょうか。

何かしらのヒントや閃きのきっかけにしていただけましたら幸いです。

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目で届け合えるハッピーがある。

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持ち込む衣類によってクリーニング店を使い分けているのだけれど、その中の一店舗が近々店仕舞いすることになった。

どこにお願いしても同じだろうと思っていた時期もあったけれど、そうではないと気付かされる出来事を幾度か経験し、引っ越しをする度に、信頼できるクリーニング店を用途別に探すようになった。

今回店仕舞いをするお店とのお付き合いはそれほど長いものではないのだけれど、無くなると聞いて少しだけ気持ちを揺さぶられてしまった。

初めてこのお店を利用したとき、正直なところ、店員の態度に違和感を覚えたことは今でもよく覚えている。

衣類の扱いが雑だとか手際が悪いとかではなかったのだけれど、無表情を極めており、やり取りをする間も全く目が合わなかったのだ。

極度の人見知りなのかもしれないと思ったりもしたのだけれど、いつ行ってもそのような状態で、私の声や表情が行き場を失うことが当たり前になっていた。

ちらりとのぞいたインターネットの口コミにも、私が感じた同様のことが書かれており、何を以って評価された星印なのかは分からないけれど、星の数は極端に少ない状態だった。

それでもお店を変えようと思わなかったのは、その仕上がりの良さが気に入ったからである。

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このような状態が数か月ほど続いたある日、「こんにちは」と言ってカウンターの前に立つと、初めて店員と少しだけ目が合った。

とても貴重な瞬間に遭遇した気がして、その日は妙な嬉しさを感じた記憶がある。

それから、少しずつ目が合う機会や時間が増えたある日、いつものようにお礼を言うと「どういたしまして」と素敵な笑顔が返ってきたのだ。

その瞬間、本当はこんなにも優しい表情を持った方なのかと妙に感動し、思わずこちらがぎこちなさを放ってしまった日となった。

それからは、グッと距離が縮まって店内に入るや否や、とびっきりの笑顔で声をかけてくれるようになり、インターネット上の星印が伝える真実は、一瞬を切り取ったものだったのだろうと推測した。

人は、目と目を合わせると幸せを感じるホルモンが脳内に分泌されるというけれど、私たちが思う以上に私たちは幸せホルモンの影響を受けているのかもしれないと思ったりもして。

そしてふと、人と話をするときにどれくらい目を合わせているだろうかと自分を振り返った。

目を合わせすぎないというのも心遣いのひとつではあるけれど、目と目を合わせることで生まれるハッピーもある。

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大切な方との会話であっても、慣れてくるとつい、ながら会話になってしまうことがあるけれど、しっかりと目を合わせて、視線を合わせて会話することで互いに届け合えるハッピーがあることを、チラリと頭の片隅に忍ばせておいてみてはいかがでしょうか。

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キッチンでとっておきのピオニー選び。

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キッチンでふと、明治座のカフェにある和風サンドウィッチを食べたくなった。

舞台の幕間に設けられた休憩時間のティータイムに、何か少しだけ摘まみたいと感じたときに選ぶメニューである。

パンに挟まれているのは、キュウリや蒲鉾、海苔、胡麻などの食材で派手さは無いのだけれど、何とも不思議な心地よさと言えば良いのか、ノスタルジックな味と言えば良いのか、とても落ち着くサンドウィッチだ。

自宅で似たようなものを再現したこともあるけれど、この一品は、あの場所で口にするから味わい深いのだろうという結論に達してから、自宅で作ることは無くなったけれど、そろそろ本格的に恋しくなっているのかもしれない。

そのようなことを思いながらカップボード内の整理をしていると牡丹をあしらったお皿が数枚あることに気が付いた。

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牡丹は英語ではツリーピオニーと呼ばれており、同じボタン科の芍薬はチャイニーズピオニーと言って区別されている。

しかし、外国では、ここまではっきりと呼び分けられることはなく、ボタン科の植物はどれもピオニーと呼ばれていたように思う。

このピオニーという名はギリシャ神話から名付けられたという説がある。

いくつか見聞きした由来なのけれど、私の記憶に残っているのは薬を司る神ペオンのストーリーである。

ペオンは、不思議な力を宿していると言われている植物を求めてオリンポスの山へ行くのだけれど、そこで、全知全能の神ゼウスの子をお腹に宿している女神に出会うのだ。

そして、その不思議な力を宿していると言われている植物の根っこが痛みを和らげる効果を持つことを教えてもらう。

その植物を持ち帰ったペオンは、戦で負傷した神々や神に仕えていた者たちをその植物で治療したという。

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何の問題もない出来事なのだけれど、いつの世も人の心は自分自身でもどうすることもできないような思いに囚われることがあるようで、

このペオンの活躍をそばで見ていたペオンの師匠は、自分を超えてしまったペオンに嫉妬し、彼の命を奪ってしまったという。

かつてペオンに戦の傷を治療してもらった神は、この悲しい出来事に心を痛め、ペオンをその不思議な力を宿している植物に変えたというストーリーだ。

このラストには、複数のバージョンがあり、ペオンが命を師匠に奪われる直前に神によって、その植物に姿を変えられたというラストもあり、このストーリーに登場する植物がピオニーだと言われている。

他にもギリシャ神話内でよく見られるシチュエーションのストーリーが、ピオニーの名の由来だとする説があるのだけれど、ボタン科の植物はペオンが生まれ変わった花としてピオニーの名が付けられているそうだ。

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そのようなストーリーを思い出しながら、複数あった牡丹をあしらったお皿の中からとっておきの1枚を残すべく、しばしの間、静かにお皿を眺めた。

全ての花の背景にドラマティックなストーリーが在るという訳ではないのだけれど、このような切り口で花やストーリーに触れてみると、暮らしのなかで触れる様々な景色にほんの少し、また違った奥行きが生まれるように思う。

ピオニーの名に触れる機会がありました際には、今回のお話の何かしらかをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

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セップと不名誉なレッテルと。

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キノコをふんだんに使ったメニューを目にすると秋を感じるのだけれど、よくよくキノコの種類を見てみると、一年を通して目にしているキノコばかりということがある。

そこに気が付くと、なんて私は単純なのだろうかと思ったりもするのだけれど、季節を感じるきっかけは、それくらい単純でもいいではないかと思うこの頃である。

しかし、松茸を目にするようになると、やはり秋の雰囲気はぐっと増す。

特段、マツタケフリークという訳ではないのだけれど、やはり秋の味覚を代表する一品という印象が強いのだろう。

マツタケは、その奥深い香りに魅了されるけれど、香りの好みが異なるヨーロッパの方から見たマツタケは、日本人が感じているほど魅力的なキノコではないと聞き、ヨーロッパでキノコの王様と言えば何かと尋ねたことがある。

返ってきた答えはセップという名のキノコだった。

セップはフランス語なのだけれど、このキノコはイタリアではポルチーニと呼ばれているという。

日本ではポルチーニ茸の名前の方が浸透しているけれど、フレッシュなものを口にする機会は非常に少なく、食すそのほとんどが乾燥した輸入品という傾向になる。

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これは、このセップ(ポルチーニ)を人口栽培することが非常に難しいキノコで、入手するには、自生したものを見つける以外の方法がないため高値が付けられ貴重なキノコとして扱われているかあらだ。

日本にも生えているところには生えているキノコだと聞くけれど、日本にはセップ(ポルチーニ)を食す習慣がなかったため、人間に食べられることなく自然へ還っていくキノコなのだそう。

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ポルチーニ茸は、とても深くて濃い味わいがありイタリアンやフレンチのメニューで使われる。

口にすることができると嬉しい食材ではあるのだけれど、私は若干の苦手意識をもっているキノコでもある。

外国暮らしの中で、おつかいを頼まれる機会があり、セップ(ポルチーニ)を買いに行ったことがある。

セップ(ポルチーニ)は人の手が加えられていない天然ものばかりなので、店頭ではセップ(ポルチーニ)を半分にカットし「軸部分に虫はいませんよ」と知らせている店が多い。

しかし、その1本に虫がいないからと言って店頭のセップ(ポルチーニ)全てがそうだとは限らない。

恐る恐るセップ(ポルチーニ)を選び取っておつかえを無事に終えたと思いきや、私が選んだセップのほとんどが虫食いに遭っていたことがあった。

そのような経験を幾度か重ねてしまい、周りからは“セップ選びのセンス無し”のレッテルを貼られることとなった。

しかし、そんな不名誉なレッテルよりも、調理前に目にする虫の存在が衝撃的だったものだから、それ以来私は、セップ(ポルチーニ)を見聞きすると身構えてしまうのだ。

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フレッシュなセップ(ポルチーニ)が採れる時期は限られていますので、日本で口にできる機会もそう多くはない。

しかし、この時期はフランス展やイタリア展といった催事場で、稀に出会うことがある。

今年は、乾燥ものではなくフレッシュなセップ(ポルチーニ)をバターソテーで堪能したいところなのだけれど、自分の目利きの無さを心配しているところである。

松茸などもそうだけれど、物に対して感じるスペシャル感は人それぞれ。

自分が思う秋の味覚をひとつずつ、移り行く季節と共にご堪能くださいませ。

そして、その中で、セップ(ポルチーニ)を食す機会があったり、興味を持った際には、今回のお話と共に貴重な味を噛み締めてみてはいかがでしょうか。

いつも、幸せのレシピ集へ足を運んで下さっている皆様、ありがとうございます。

本日も、心晴れやかな1日になりますように☆彡

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知ってみること、知ろうとしないこと。

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自分が被害者側に立った場合の想像は、割と簡単にできるけれど、自分が加害者側に立った場合の想像は、簡単にとはいかないように思う。

先日、外国暮らしから帰国した友人と久しぶりに時差を気にせずに話をした。

その話題の中に、アジア人差別に関する話題もあった。

全ての出会いが素敵なものだったと言いたいところだけれど、私もそのような差別を受けたことがある。

数日後には自国を去るアジア人観光客なのか、自国に住んでいるアジア人なのかという違いでも相手の対応が変わるのだと知ってからは、敢えて観光客のフリをしてその場をやり過ごしたことも何度もあった。

それでも、私が想像していたよりも差別を受けることが少なかったと思えているのは、出会った方々の多くが、自分とは異なる文化や感性、常識を持った私を知ろうとしてくれたからだろうと思っている。

そして、その違いを知って相容れない部分もあっただろうけれど、その部分を否定するでも強要するでもなく、ただただ「あなたの国ではそうなのね」と寛大でいてくれたからだろうと思っている。

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このような経験をしたり想像する機会があると、自分が加害者側、差別する側に立つことは無いように思っていることがあるけれど、

無意識に自分が加害者側に立ってしまっていることもあるのだと感じたのも、外国暮らしをしているときだった。

自分が相手のお国柄や言葉、常識、宗教感、その他の様々なことを全く知らないとき、過度な警戒心が働き、出来るだけ関わらないようにしていることに気付き、ハッとしたのだ。

もしかしたら相手は、自国の言葉が通じず道に迷っていて、勇気を振り絞って道を尋ねていただけかもしれないのだけれど、私は「怖い」と感じて避けてしまったことがある。

私自身が、知らない土地で自分の身を守ることを最優先にしていたこともあるのだけれど、それは知らない土地に足を踏み入れた側、踏み入れられた側も同じ。

無防備でいいとは全く思わないけれど、知ろうとしないことは、見える世界や感じられるモノゴトを随分と限定してしまったり、知らぬ間に自分を加害者側に立たせてしまうこともあるのだと思う。

こうして、折に触れて色々な視点からモノゴトを想像してみると、

旅先で思わぬ差別を受けてしまっても、

嫌な気分一辺倒になってしまわずに、相手の心内を少し離れたところから眺めて程よく水に流すことができるのかもしれない。

自分が被害者側に立った場合の想像は、割と簡単にできるけれど、自分が加害者側に立った場合の想像は、簡単にとはいかないものだなと改めて感じた日。

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古にブームを巻き起こした万年青とは何ぞや?

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道すがら、素敵な観葉植物が多数並べられているフラワーショップが目に留まった。

こんなところにフラワーショップなんてあっただろうかと思いながら、植物に吸い寄せられるかのようにしてお店のエントランスを潜った。

高い天井からは、おしゃれな照明器具が高低差をつけて吊り下げられており、壁に取り付けられた間接照明のまろみを帯びた柔らかな光は、植物をより一層素敵に見せていた。

いつも足を運んでいるフラワーショップとは異なる雰囲気に気持ちも高揚し、何か連れ帰ることができる植物はあるだろうかと思った。

しかし、我が家には既に大きく成長した観葉植物が複数あり、これ以上増やしてしまうと、人が住む家か植物が棲む家かという珍事路線まっしぐらという状況になりかねないような気がしたため、購入することはできないぞと自分に言い聞かせながら、目の保養目的で店内を散策した。

シックな黒塗りの花器に植えられていたのはドラセナだった。

ドラセナというとピンとこないけれど、幸福の木と言えば、「あぁ、あれね」と思う方も多いのではないだろうか。

我が家にもひと鉢あるのだけれど、未だ、花が咲いたところを見たことない。

それもそのはずで、この木は、2メートルほどの大きさに成長したときに、花を咲かせる準備が整うそうなので、自宅で鑑賞できたなら、とてもハッピーだという。

ハッピーと言えば、ドラセナは、ハワイアン・ティーと呼ばれることがあるのだけれど、ハワイに伝わる言い伝えに家の前にドラセナを置いておくとハッピーがやってくるというものがあり、これが幸福の木と名付けられた由来なのだとか。

そのようなことを思い出しながら、少し変わった種類のドラセナを眺めていると、シックな黒塗りの花器の横に「万年青」と添えられていた。

ドラセナではないのかと植物の根元を覗き込んでいると、お店の方が「万年青(おもと)」という植物だと教えてくださった。

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私が初めて目にした万年青(おもと)は、幸福の木の異名をもつドラセナとマイナスイオンを発して空気を清浄すると言われているサンスベリアをミックスさせたようなルックスをしていたのだけれど、古から日本に存在している植物で、江戸時代には、ちょっとしたブームを巻き起こした植物だった。

その万年青(おもと)ブームの火付け役は、徳川家康だという。

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彼が江戸に引っ越す際に、この万年青(おもと)が献上されたそうなのだけれども、家康は、一年中青々とした葉姿で時折赤い実をつける万年青(おもと)をとても気に入ったのだそう。

そして、徳川家が繁栄したことも重なり、引っ越しする方に万年青(おもと)を贈る風習が江戸から日本中に広まり、現在も繁栄を願う贈りものとして、引っ越しや新築、開店などのお祝いに万年青(おもと)を贈る風習があるという。

観葉植物を目にする機会がありました際には、江戸時代にブームを巻き起こした植物、万年青(おもと)を探して家康の好みにチラリと触れてみてはいかがでしょうか。

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お作法|水引とキャラメル包みをチラリとのぞく日に。 

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長年愛用していた箸置きをキッチンの床に落として割ってしまった。

和にも洋にも馴染むシンプルなデザインで気に入っていたのだけれど、別れは突然であった。

いつまでもあると思うな何とやらではないけれど、私は、その箸置きが無くなると考えもしていなかったようだ。

いつの間にか箸置きの数が減ってしまっていたこともあり、今年の夏は、素敵な出会いがあればと、箸置きを見つけては近づくことが増えた。

しかし、出会うのも簡単ではないようで、なかなか素敵な出会いが無いまま日が過ぎていた。

探し求めることを止め、ふらり小旅行へ出かけたときだ。

とても素敵な箸置きが目に留まった。

割ってしまった箸置きのシンプルさを引き継いでいるかのようなデザインのものと、少し凝った水引デザインのものだ。

旅の高揚感に後押しされ、その両方のデザインをいただくことにした。

お店の方に、箸置きを包んでいただきながら、割ってしまった箸置きの話をしていると、水引は厄落としになるから割れたときには気を落とさないで下さいねと言われた。

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水引は人と人や心と心を結ぶものとして古より大切にされてきたものだけれども、それだけではなく、水引は切れると厄落としになるのだそうだ。

だから陶器でできた水引デザインの箸置きが割れてしまったときというのは、使っていた人の厄落としが完了したサインなのだとか。

縁起物モチーフをした箸置きが割れてしまったら、ネガティブなことが頭の中に浮かんでしまうと仰る方もいるような気がするのだけれど、

事前に、このように言ってもらえていたら、もし仮に手が滑って床に落として割ってしまったとしても、とても前向きな気持ちになれるだろうし、余計な心配をせずに贈り物として選ぶこともできるように思う。

しかしワタクシ。もしかしたら、陶器製の水引箸置きを気持ちよく買ってもらうための……と無粋なことがちらついたのはここだけの話だけれど、こうして上手に気持ちを整えられるのは生きていくための知恵の一つである。

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日本には言葉にせずにメッセージを伝える方法がたくさんあるけれど包み方も、そのひとつ。

ぱっと見ただけでは同じ包み方に見える「合わせ包み(キャラメル包みとも)」と呼ばれる包み方があるけれど、この包み方には慶事用の包み方と弔事用の包み方がある。

ラッピング用紙を広げ、箱の底面を上に置き、ラッピング用紙の右側をボックスにかぶせたときに、紙の端がボックスの中心にくるよう箱の置き位置を調整する。

ラッピング用紙の右側をもとの状態に戻して、今度はラッピング用紙の左側をボックスにかぶせ、右側を重ねて、テープで留める。というのが、この合わせ包み(キャラメル包み)の簡単な流れだけれど、

このラッピング用紙の合わせは、慶事用の際には右側の用紙が上にくるように左→右の順に包み、弔事用の際には左側の用紙が上にくるように右→左の順に包むのがお作法である。

以前、こちらでも触れたことがある袱紗や風呂敷のお作法と同じなので、洋風スタイルの封筒を縦書きの状態で使う際も、このお作法を使うため、覚えておいて損はないように思う。

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言葉にすることを躊躇うようなシーンでも、しっかりと思いを伝えられるなんて素敵なお作法だと思うのですが、いかがでしょうか。

明日すぐに使うことが出来る話題ではないのですが、必要なときに頭の片隅から引っ張り出してお役立ていただけましたら幸いです。

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