幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

あのカエルマークって何ぞや!?|レインフォレスト・アライアンスのお話。

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やっと、いつまでもベッドの中の温もりに包み込まれていたい、そう思う季節になった。

眠い目を擦りながら、いや、私の場合は目を閉じたままなのだけれど、ちょっとした自分との闘いに勝ってベッドから抜け出すと、全身の毛穴が「さっむーい」と言って口をキュッと閉じるような、あの感覚が好きだ。

随分と前からスタインバイさせていた、ふわふわの冬もののガウンも、ようやく出番である。

先日も、それを纏って朝の日課、レモン白湯を飲んでいたのだけれど、すぐに体が温まり脱ぐ羽目に。

そんな体温からも、確かに秋だ、冬ではなく。と感じた朝である。

そうして始まったこの日の夕方、幾つか片付け忘れていた案件があったことを思い出して外出した。

全てのミッションを終えると気持ちが緩んだのか、一段とひんやりとしている空気に気が付き、今年も四季があることにホッとしたりしながら某ショップに足を踏み入れた。

何か目新しい調味料はないか見回っていると、幾度か同じロゴがプリントされている商品があった。

食品メーカーのロゴだろうかと幾つかの食品を手に取ってみたけれど、そうではないようで、このロゴは何ぞや?といつもの「?」が脳内に浮かび上がった。

そのマークは、グリーン一色で太陽か向日葵なのか、そのような枠の中にカエルの姿があった。

そして、そのカエルを囲むようにして、レインフォレスト・アライアンス(RAINFOREST ALLIANCE)という文字が印字してあった。

百聞は一見に如かず、このようなロゴである。

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以前、『茹で上がってしまわぬように過ごしたい。』というタイトルのもと、

私たちが身を置いている社会環境や自然環境に、じわりじわりと忍び寄る環境破壊によるダメージや、社会そのもののシステムや、人や企業の在り方、その他諸々に対する在り方をカエルの性質と重ね合わせて考えさせる例え話があり、教訓として「茹でカエルの法則」といった言葉があるという話題に触れたことがある。

地球の至る所に生息しているカエルは、環境条件を教えてくれる生き物だ。

この緑色のカエルを使ったレインフォレスト・アライアンスと呼ばれるロゴは、農業、林業、観光業の事業者が監査を受けて、

環境や社会、経済面を健やかな状態で維持していくことができる基準に沿っていると認められたことを意味しており、世界中の至る場所で目にすることができるという。

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しかし私は、これまでも目にしてはいたのだろうけれど、意識したのは今回が初めてだったのだ。

私の正直な気持ちを言えば、このロゴマーク自体が、目の前の商品を購入するか否かの決断基準として、最優先事項になることはないように思う。

だけれども、自分が興味を持って購入した商品にこのマークがついていたのなら、

美味しく楽しくいただきながら、それが人や動植物、環境など、目には見えないけれど繋がっている誰かのため、何かのためになるということである。

それに、きれいごとや無理、義理などから生まれたハッピーの輪ではなく、それぞれが自分の暮らしを楽しんだり、大切にする中で広がるハッピーの輪は、簡単に無くなったり消えたりしないものなのではないのだろうか。

そのようなことを思いながら、この日、素敵なパッケージに包まれた美味しそうなチョコレートを持ち帰った。

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「お得感」という表現が適していないことは重々承知しているけれど、美味しい食品を買って食べただけなのに、何かの為や誰かの為になっているなんて、お得で素敵ではないかと思う。

それに、単純だけれども、来年も5年後も日本の四季を感じたいではないか。

だから、自分にできることを、できるときに、楽しみながら出来る分だけ、と思う。

お店などで、この緑色をしたカエルのロゴを目にした際には、ロゴの意味や、どうしてカエルがロゴに選ばれているのかなど、何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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秋の散歩とカレーのはなし。

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秋晴れのその日、キーボードを叩く手を止めて気分転換に散歩に出かけた。

秋の匂いに混じっているお日様の匂いが心地よく、見上げた空は秋空にしてはシャープさを含んだ青色をしていて、雲の白が際立って見えた。

特段、用事があったわけではなかったため、歩きながらどこへ行こうかと思考を巡らせた。

が、着の身着のままの時間が私にとっての気分転換だと思い、徒歩圏内だけれど未だ歩いたことがない道を選んで歩くことにした。

ご自宅の一階を改装したようなアットホームなカフェを見つけたり、まだ夏の植物が花を咲かせていたり、

枝葉を切り落とされて来年の力を蓄えている、地味なお姿の紫陽花を見つけたり、道路に落ちている赤い葉っぱたちがドット柄のように見えたりもして、道草万歳!そんなことを思った。

そう思っていると、既に葉が散り終えた街路樹が並んでいる道に辿り着いた。

一見、何てことない秋の景色なのだけれど、節を多く持ち絶妙に折れ曲がった枝だけが残されている樹の下から空を見上げると、樹は珊瑚のように、空の青は海の青に見え、自分が海底にいるようだった。

この日は、家を出て30分も経たぬ間に宝箱をいくつも見つけたような気がして、それらを記憶に焼き付けながら帰路に着いた。

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気持ちが満たされたからなのか、どこからか漂ってきたカレーの香りにお腹が鳴った。

6、7年前に住んでいた自宅近くには、美味しいインドカレーのお店があった。

秘密基地のような店内は入り組んだ構造で、今日はどのスペースへ通されるのだろうかとワクワクするお店だった。

出てくるカレーも、注文を受けてから焼き上げてくれる大きなナンも、食後に出してくださる濃い目のチャイや、時々サービスしてくださったインドの極甘の駄菓子も美味しくて、読みかけの本を手に足を運ぶ場所だった。

そしてそのお店には、お会計担当の、年配のご婦人がいらっしゃったのだけれど、彼女に「お家でカレーを食べる時には葉酸が足りなくなるから葉物野菜を食べるといいのよ」と教えていただいてから、葉酸を多く含む野菜メニューを準備するようになった。

葉酸は女性におすすめされる栄養素だけれど、細胞そのものを作ったり再生させたりと老若男女問わず必要な栄養素なので、習慣にしておくと小さな健やか貯金になるようだ。

葉酸を多く含む食材は色々とあるけれど、ほうれん草やグリーンアスパラガスなどを記憶しておくと無理なく一年を通して加えられるように思う。

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そのようなことを思い出していたら、無性にカレーが食べたくなり、この日はカレーの具材とほうれん草を購入して、私の散歩タイムは終了した。

五感を程よく刺激してくれる季節ですので、少し遠回りをして秋を感じてみるのはいかがでしょう。

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ポップとシックを、古と未来を、行き来するような砂時計。

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我が家には砂時計が2つある。

ひとつは、英国暮らしを始めた頃に美味しい紅茶を淹れるために購入した手のひらサイズの小さなものだ。

どこどこの砂時計というようなスペシャルなものではなく、もうあまり記憶に残っていないけれど、観光地としても名が知れているコヴェントガーデンという地区に在る、雑貨店で購入したように思う。

目的が目的だっただけに、それほどの拘りはなく、オーソドックスなデザインと手頃な大きさ、そしてお手頃価格という3拍子が揃い持ち帰ったものだ。

きっと、ワンコインでおつりがきて、そのおつりでビールくらいは買えたのではないだろうか。

そのくらい、気軽な買い物だったのだ。

中の砂は鮮やかな濃い目のピンク色をしており、流線形のガラスを囲む外枠は渋いブラウンカラーに塗られた木製で。

何だか、ポップとシックを、古と未来を行き来するような、ちょっと不思議な組み合わせの砂時計だ。

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すぐに壊れてもいいやと軽い気持ちで購入したけれど、この砂時計は紛失ぜず壊れることもなく、未だに私の手元ある。

親元を離れてから、両手では足りないほどの引っ越しを繰り返しているにも関わらず、である。

ただやはり、買ったときのままの姿という訳ではなく、ブラウンカラーの外枠は、重ねた年月の分だけ味が出てきており、デザインの好み云々とは別次元のちょっとした相棒のような空気を纏う様になった気がしている。

あの時の私は、どうしてあんなにもポップなピンク色の砂を選んだのだろうかと思うことが今でもあるのだけれど、眠り足りない朝も、朝焼けを確認してから眠りにつく日も、心身ともにスッキリと元気に満ちた朝も、ほっと一息つくためのカップを選ぶときも、元気を発してくれていることに気が付いた今では、私に必要な色だったと思っている。

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その日も、砂時計を使って紅茶を淹れていたのだけれど、砂時計は、ちょっと目を離した隙に、あっという間に砂が落ちきってしまい、正確な時間を計り損ねることも往々にして。

だから、つい計り直しなんてことをすることもあるのだけれど、ふと、英国で耳にした、砂時計は自分の一生を表しているようなものだという話を思い出した。

時間は目には見えないけれど、上の空間にある砂は未来の時間で、下の空間にある砂は過ぎ去った過去の時間。

待った無し、やり直しも無し、よそ見をしている暇などないことを、やんわりと伝えてくれているように感じられるのだという話である。

この話を聴いて、何となく過ごすこともできる日々だけれど、私は私なりの丁寧さをもって過ごす日々を重ねたいと思った。

成功や失敗なんかはひょいっと飛び越えて、心残りのない日々を。

だから、ズボラをするのも、ぼーっとするのも、道草だって、ある意味、真剣なのである。

ん!?今回のお話はこんな着地で大丈夫だろうか。

まぁ、柊希らしいということで着地してしまおう。

ふたつめの大きな砂時計のお話もと思っていたのだけれど、今回はこの辺でお開きに。

本日も思い思いの素敵時間をお過ごしくださいませ。

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甘いものや炭水化物を体内に溜め込まずにエネルギーに変えるコツ。

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ここ数日、甘いものをいただく機会が多い。

甘いものは私を幸せな気分で包み込んでくれるもので、好きなもののひとつだ。

ただ、自分から頻繁に手を伸ばすことがないからなのか、甘いものを口にする機会が増えると、それによって体内が忙しく動いていることを体調から感じ取って、何とかしなくてはと思うのである。

この体調の変化というのは、甘いものを口にしたからと言って、摂取した糖質が翌日にお肉と化して体に付くということは無いのに、体がすっきりしない感覚があったり、ぐっすりと眠ったはずなのに疲れが残っていると感じたり、通常の食事の美味しさが目減りしたように感じるなど様々である。

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この辺りの感じ方には個人差があり、感じないという方もいらっしゃるけれど、これからの季節は甘いものをいただく機会や、炭水化物多めの食事を摂る機会も増えるかと思います。

そこで今回は、このようなメニューから摂取した糖質を体に溜め込んでしまうのではなく、しっかりとエネルギーに変えて燃焼するコツと、その注意点を、ここでおさらいしておこうかと思っております。

ご興味ありましたら、食欲の秋対策としてのぞいていっていただければと思います。

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炭水化物や糖質も私たちの体に必要な栄養素ですが、これらをエネルギーに作り変えるには、ビタミンB1が必要です。

しかし、私たちの体内にあるビタミンB1が足りなくなってしまうほどの炭水化物や糖質を摂取しますと、これらをスムースにエネルギーに変えることができず、行き場を失った炭水化物や糖質が体内のどこかしらに蓄えられることになります。

また、本来ならばエネルギーに変わるはず栄養素の処理が進まないため、何かと内臓に負担がかかり、疲れがとれなかったり、食欲が落ちたり、何となく体が重いといった夏バテにも似た感覚を覚えます。

ですから、甘いものや炭水化物を摂り過ぎた翌日ほど、普段よりもビタミンB1を意識した食事をしっかりと摂ることで、無駄なお肉を体や疲労を体内に溜め込まずに済みます。

日本人は男性も女性もビタミンB1が不足しがちだとも言われています。

今回は、甘いものや炭水化物をエネルギーに変えるという視点から触れているのですが、甘いものはあまり食べないけれど疲れがとれない、体が重いといった夏バテのような感覚がある方は、もしかしたら、ビタミンB1の不足が招いている症状なのかもしれません。

ビタミンB1を多く含む食材の代表と言えば、豚肉と大豆、うなぎ、玄米などでしょうか。

新米が美味しい季節でもありますけれど、時々、玄米を混ぜ込んだご飯を召し上がるだけでも、随分と体内バランスを整えられるように思います。

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このようなとき、ビタミンB1は手軽にサプリメントで摂取しておこうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ビタミンB1を過剰に摂取すると気持ちが不安定になってイライラしやすくなったり、頭痛が出たりすることもあるといいます。

食事で摂る分には摂りすぎることは「ほぼ無い」と言われているので、できるだけ食事から摂取して、それでも不足するようであれば、常用するのではなくて必要に応じてプラスするものとして扱うと良いのではないでしょうか。

ここだけの話ですが、実は私も随分と前ではありますが、手軽に摂取しようと横着心が湧きまして摂取していたことがあります。

幸いにも私の周りには医療従事者が多くいたこともあり、すぐに、このような話を聞かされて反省しサプリメントの扱い方を見直すキッカケになりました。

とても心強いアイテムですが、長期摂取による過剰摂取状態は内臓に負担もかけますので、上手に取り入れて下さいませ。

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食欲の秋が始まり、年末年始まで胃腸も大忙しです。

ボディーラインも健康もどちらも譲ることができないオトナの皆さん、ここはオトナの知恵を味方につけて日々を楽しんでまいりましょうね。

今回も柊希のセルフチェックにお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

本日も、皆さんと皆さんの大切な方々が健やかでありますように☆彡

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ダイヤモンドリリーと箱入り娘。

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この日私は、様々な意味合いの「箱入り娘」という言葉を多く見聞きした。

その対象も人や動物など様々で、見聞きする度に、日本語は使い手次第で如何様にも変化する面白いものだと思った。

そのようなことを思っているときというのは、無意識に私のアンテナがそちらに向いているのだろう。

普段は素通りしている店先や戸建てのエントランスに置いてあるダイヤモンドリリーに気が付いた。

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ダイヤモンドリリーとは、上の画像の花で曼殊沙華(彼岸花とも)の仲間と言われる植物なのだけれど、曼殊沙華と異なるのは、毒を持たない花で扱いやすいというところだろうか。

そして、花言葉のひとつに「箱入り娘」というものがある。

他にも幾つかの花言葉を持っていたはずなのだけれど、私の記憶に残っているのは、これひとつである。

記憶に残っている理由は、ダイヤモンドリリーの別名がネリネであり、このネリネという名の由来がギリシャ神話に度々登場する妖精「ネーレーイス」だからである。

ネーレーイスという名は、特定の妖精の名ではなく海の神様の娘さんたちの総称のようなものなのだけれど、

彼女たちは、神話にありがちなプロフィール例に漏れず美しい容姿をしており、海の神である父と母から溢れんばかりの愛情を受けながら、裕福で不自由のない暮らしを送っている。

しかし、いくら裕福で不自由のない暮らしを送ることが出来ているとはいえ、彼女たちもお年頃。

親の監視下から離れることで得られる自由の中で暮らしてみたい、という思いを持ってはいるものの、それを許してはもらえず、海底にある洞窟の中で親と共に暮らしているのだ。

この様子が、ダイヤモンドリリー(別名ネリネ)の花言葉に反映されており、「箱入り娘」が加えられている。

ダイヤモンドリリー(ネリネ)をよく見てみると、小さなユリの花が集まって一つの大きな花を作っているのだけれど、私には、この小さなユリの花のひとつひとつが、海の神である両親を持つお嬢さんたちにも見える。

そして、立場は違えど、どのような人にも、当事者にしか分からない思いがあるものだと感じながら、想像の中の彼女たちに妙なエールを送ってしまうのである。

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ダイヤモンドリリー(別名ネリネ)は、今頃から12月に開花のピークを迎えます。

どこかで目にする機会がありました際には、曼殊沙華の仲間であることや、海の妖精たちネーレーイスのこと、花言葉の中に「箱入り娘」というものがあることなど、何かしらをチラリと思い出していただけましたら幸いです。

日常に在る、小さな扉を押し開けた先の世界を楽しむことができますように☆彡

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胸の中を右往左往する小さな緊張から解放されたいこの頃。

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今夜は秋刀魚を食べよう。

そう思い立ち、冷蔵庫からぷりっぷり、きらっきらのルックスをした秋刀魚を取りだした。

秋刀魚がまとっていた冷気をキッチンの温度に馴染ませている間、グリル内を予熱するために火を入れた。

今夜は大丈夫だろうか……、キッチンをぐるりと見渡した。

この大丈夫だろうかとは、警報機のことである。

どういうわけかワタクシ、現在のマンションに越してきてから、数回ほど警報機を鳴らしてしまったことがあるのだ。

グリルを使用するのは何も魚を焼く時だけではないのだけれど、過去のシチュエーションが全て魚を焼いているときだったこともあり、ここのところ、魚を焼く前には小さな緊張が胸の中を右往左往するようになってしまった。

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何が嫌なのかと言うと、まずはあの音である。

警報機というだけあり、緊急事態感をこれでもかと詰め込んだような音がする。

そして、その耳慣れないあの音に、私の心臓も、緊急事態感を表したかのような音とリズムで刻み始めるのだ。

次に、マンション中にどれ程鳴り響いているのだろうかという、お騒がせして申し訳ないという感情に襲われ、無駄に家の中を右往左往する自分に遭遇することだ。

「落ち着こう」「落ち着け」と自分に何度語りかけても、体は聞く耳を持たずに右往左往するのである。

室内には、この警報機音を止めるボタンが用意されているのだけれど、そのようなボタンなど生まれてこの方押した経験を持たない私は、

最初の事件のとき、本当にこのボタンを押しても良いのだろうかと躊躇した挙句、その隣にあった火災確定ボタンを押すという失態をやらかした。

あの時は、よりによって、どうしてそちらのボタンを押すかなと、自分自身に対してそれはそれは大きく凹んだ。

しかし、すぐに私のスマートフォンが鳴り、警備会社から「どうされました?大丈夫ですか?」と連絡が入り、「魚を焼いていたら……」と状況を説明し、無事に警報機は止まった。

火災確定を押すという失態は一度きりだけれども、警報音を幾度か繰り返し鳴らしている私は、いつかオオカミ少年になってしまわないかという不安も抱きつつ、魚を焼いているのである。

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後に、この警報音はまず初めに管理人室に鳴り響くということが管理人さんとの会話で分かった。

感度が高い警報機が備え付けられていることや、何かあれば警備会社からすぐに連絡がくることは、とても心強いこと。

そして、警備会社の方も管理人さんも無事で良かったと、毎回笑って言って下さり有難いのだけれど、

その度に、申し訳ない気持ちでいっぱいになると同時に、あっさりと冷静さを失う自分に自信喪失するのである。

この日の秋刀魚は、何ごともなく、こんがり美味しそうに焼き上がり胸を撫でおろしたのだけれど、胸の中を右往左往する小さな緊張からは解放されたいこの頃である。

皆様は大丈夫だと思うのですが、脂がのった、ぷりっぷり、きらっきらのルックスをした秋刀魚を召し上がる際には、換気扇の準備をお忘れなく。

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雨の日の憂鬱はレインマジックでハッピーへシフトチェンジ! 

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その日は雨が静かに降っていた。

気圧の変化に敏感な私は、雨の日、頭をギューッと締め付けられるような感覚を覚える。

これは、雨を嫌う理由にもなり得るのだろうけれど、それでも私は、晴れの日と同じくらい雨の日も好きなのである。

薄暗くてヒンヤリとしている空間の中で絶妙なリズムを刻み続ける雨音は、いつまででも聴いていられると感じるのだ。

どうしてそう感じるのか。

きっと、ざわつく気持ちや、焦る気持ち、研ぎ澄まされ過ぎた神経や興奮気味の気持ちを、一度包み込んだ上でフラットな状態に戻してくれるように感じているからなのだろうと思う。

そうそう、まるで、子どもが眠りにつくまで背中や胸を優しくトントントンと一定のリズムで叩く親の手のような安心感に似たものを雨音に感じるのだ。

その日はソファーに転がって好きな雨音を聴きながら、空に在るもの以外は何も収められていない空の表情を切り取っただけの写真集を眺めた。

しばらく眺めていると、ファインダーを覗いた写真家の興奮や感動、それらがすーっと引いていく感覚までもが映っているように感じられて、少し、興奮した。

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雨音は、人が溜め込んでしまっているストレスを和らげて、気持ちをリラックスさせ、心地良い眠りに誘うことで様々な疲労を回復させることで知られている。

しかし、雨音が持っている効果はこれだけではないという。

いつだったか読んだ何かには、雨音には、人の記憶力や集中力を高める効果もあるとあった。

これらは全て、雨音が持っているα波によるもので、α波によって休息できた私たちの脳や体は、本来の力を取り戻し、これによって記憶力や集中力が上がるという仕組みなのだとか。

何だか疲れていて記憶力や集中力や思うように上がらないときは、雨の日を利用して心身を癒すことに徹するもよし。

雨音を聴きなが作業することで心身のエネルギーチャージと作業効率を上げることを同時に行うもよし。

雨を憂鬱に思うことがあったなら、このレインマジックを使うことを思い出してみてはいかがでしょう。

雨の日の憂鬱が、ほんの少しだけでもハッピーなものに変わったのであれば幸いです。

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断水後のエアーハンマーにご注意あれ。

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その日は、いざという時のために準備している水や簡易トイレなどの賞味期限や消費期限等を確認した。

持ち出すものは、まだ自分に合ったスタイルが見つかっておらず、間に合わせ的なものしか準備していないのだけれど、自宅内に置いている備蓄品は随分と安定してきたように思う。

それでも、あっという間に消費期限が近づいたり、今の自分には不要だと感じるものを含んでいたり、より使い勝手の良いものが登場していたりと、自分も世の中も少しずつ変わっていくため、

備蓄品は時々、中身の確認を行うことも大切なことなのだと、確認する度に体感しているところである。

この日は、昨年夏に初めて備蓄品に追加したボディー専用の使い捨てウェットタオルの使用期限が近づいていたため、中身の状態の確認も含めて開封してみた。

結果は、使うことはできるけれど乾き始めているような感覚があり、やはりこの手のアイテムは少し早めに交換する必要があることが分かった。

今の我が家はありがたいことに、このウェットタオルを使うような状況ではないため、残りはアウトドアか年末の大掃除で使用することになりそうなのだけれど、このようなアイテムも実際に様々な用途で使ってみなくては本当の良し悪しは分からないようにも思う。

先日、そのような話を排水管の清掃、消毒に来た方と話していたのだけれど、災害時よって断水が続いた後、トイレのタンクやウォシュレットなどを破裂させてしまうお宅が多いという話題が出た。

私自身、災害による長期間の断水というものを経験したことがなく、すぐに状況を想像することができなかったため、少し詳しく教えていただくことにした。

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今回はそのようなお話を少しシェアさせていただければと思っております。

ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていってくださいませ。

災害やその他、何かしらの理由で長時間断水していると、給水管内に空気が溜まっていることが多いのだそう。

そして、断水が解除された連絡を受けた各家庭が一斉にトイレを使い、水を流したとします。

すると、給水管の中に溜まっていた空気が水によってギューッと圧縮された状態のまま、トイレのタンクやウォシュレットの管などの更に細い部品内へグイグイと押し込まれて、各部位に負担をかけ破裂させることがあるのだそう。

これは、エアーハンマーと呼ばれる状況なのだとか。

水漏れやタンクなどの破裂も大変なことだけれど、特にマンションなどであれば、圧縮具合も更に大きくなるので、

エアーハンマーによって破裂した部品などによるケガを防ぐためにも、このようなことが起こることがあるという知識は知っておいた方が良いように思います。

多くのご家庭は、キッチンや洗面所、お風呂場の給水管とトイレの給水管は繋がっているので、

断水が解除されて水が出るようになったら、真っ先にトイレへ行きたくなることもあるかもしれませんが、

まずは、キッチンや洗面所、お風呂場の水を出して、給水管内の空気を抜いてから、トイレの水を流すようにすることで、忍び寄るエアーハンマーを消失させることができるようです。

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そう言われてみると確かに、点検等で半日断水した後にトイレを使うと、ポコポコと空気の音を耳にすることがあります。

この手のことは、一度知ってしまえば忘れることは少ないかと思いますので、私と同じように知らなかったという方は、この機会に知識ボックスに入れておきましょう。

既にご存知だったという方は、これをセルフチェックの機会にしていただけましたら幸いです。

いつも情報を共有してくださる皆様、本日も柊希にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

本日も心身共に健やかな1日となりますように☆彡

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便利と、支配すること、されること。

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気温が下がってきているからだろう。

煮込み料理を作る機会が増えてきたように思う。

キッチン内にパソコンと本を持ち込んで、好きな飲み物と音楽を用意する。

そして、お鍋の中でグツグツと音を立てながら小刻みに揺れている食材の様子を時折、耳で確認しながら過ごす時間は、私にとって至福の時のひとつである。

ひとつひとつをじっくりと堪能する時間も密度が濃くて良いものだけれど、こうして好きなあれやこれやだけに囲まれて、全部を同時にざっくりと楽しむ贅沢感は、ココロが解放されるように思う。

お鍋の中をぐるぐると掻き混ぜながら、注文日の翌日に到着するという連絡をいただいてから一週間が経過した書籍類が、未だに届いていないことに気が付き、問い合わせをしてみることにした。

すると、「お調べ致します」という言葉から15秒ほどで紛失した疑いが高い為、交換品ということで全て再送してくださるという流れに至った。

とてもスムースな対応に感謝したのも束の間、窓口の方から「万が一、紛失したはずの書籍が届いた場合は返送する必要はないので、全てお客様の方で破棄してください」と付け加えられた。

窓口の方が電話越しの私(=お客様)に商品を確実に届けることを最優先事項として動いて下さったことは直ぐに分かったけれど、

一冊の本が仕上がるまでに要する時間や携わる人の数を思うと、簡単に「それら全てを破棄」と言われたことに胸の中がモヤモヤとして、しばらくの間、無駄にお鍋の中を掻き混ぜていたように思う。

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翌日、再送してくださった書籍が全て無事に私の手元に届いた。

そして、その日から送れること4日ほど。

紛失したはずの全ての書籍が巡り巡って私のもとに届けられた。

とてもマニアックな資料とも言える書籍類だったこともあり、譲ってほしい友人、知人も見つからないだろう。

ふと、このような状況で破棄される書籍は年間どれほどの数あるのだろうかと思った。

もう少し待ってみるという選択肢もあったはずなのだけれど、注文した翌日に届く便利さが当たり前になっていた私は、一週間「も」待ったと感じ、再送を快諾していた。

食品ロスに対しても似たようなことを感じるのだけれど、簡単に手に入る幸せは、何かを知らぬ間に引き換えにしているように思う。

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例えば食品。

初めは、美味しいものを届けたいと思って作っていたけれど、多くの人に届けたい→切らしてしまってはいけない→だから大量に作る→ロスが出ても仕方がない。という状況になり、

次は、原点に返るのではなく、そのロスを減らすにはどうすればよいのかと考えることになるなんて、冷静に眺めるとおかしな話である。

今回私も、紛失したかもしれない本たちをあっさりと見捨てて、替わりを送ってもらったのだから、偉そうなことを言える立場ではないのだけれど、

人でも物でも気持ちでも、人は、そのような何かを意識している、していないに関わらず「自分が思うままに扱うことができるもの」として「見たり」「扱ったり」してしまうとき、

一見、自分がその何かを支配しているように見えて、実はその何かに支配されてしまっているのではないだろうか。

既に手にしている本が丸ごと収められた、もうひとつのダンボール箱を眺めながら、そのようなことを思った。

いつかそれらを手放すその日まで、私の書棚には同じ本が2冊ずつ並ぶことになったのだけれど、その列を目にする度に、同じ中身のダンボールが並んだその日の出来事を薄っすらと思い出すように思う。

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自分ルールで過ごす時間をご一緒に、いかがですか?

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私の必需品のひとつ、ノートを小さな書棚から取り出した。

使うノートはこれ、というような拘りは一切なくて、ふらりと立ち寄った雑貨店や文具店などで心惹かれたものを買っておくことが多い。

あとは、そのような私の習性を知っている友人から贈られたものなど、ストックには、どれひとつとして同じデザインのものはない。

そして、その時々の気分にあったものを1冊選んで使い始めるのだ。

仕事柄、日々の中で心が動いたものごとや言葉、自分の感情や思考の切れ端を書き残しておくのだけれど、落書きや、1時間後の忘れてはいけない予定なども書いている。

仕事柄などと言うとカッコよく聞こえるけれど、何のことは無い。

単純に、何でもありの、私の物忘れ防止ノートである。

手帳だけでは足りずにノートまで愛用しているところを見るに、随分と忘れっぽいのかもしれない。

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今回取り出したノートはセミB5サイズと呼ばれる、ほどよい大きさのもの。

表紙には深紅色と山吹色、桃色の3種類の艶やかな牡丹だろうか、芍薬だろうか、そのような手書きの花がプリントされている。

背表紙は茎や葉っぱを連想させるような深い草色をしていて、所々にあしらわれたゴールドカラーの模様が、華やかさを添えている。

紙は、ペンを走らせるとペン先を受け止めてくれるような安定感とちょっとした弾力が感じられる厚みがある他、インクを程よく吸い込む感覚がペン先から伝わって、非常に私好みだ。

少し黄色みがかった紙の上に愛用しているネイビーインクで文字や落書きを走らせると、インクの色が映えて静かにテンションが上がる点もイイ。

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このような小さな自分だけの「嬉しい」をどれだけ見つけられるか。

自分の暮らしや世界は自分自身で如何様にもカラフルに彩れる。

そう思う。

仮に明日、同じノートを見て、使って、今日と同じようにテンションが上がらなかったとしても、それはそれでよいのである。

それが自分の素直な気持ちなのだから。

子どもたちはよく、自分たちでルールを作って遊びだすけれど、あれって天才!といつも思う。

大人だって、ああいった自分ルールを作っていいのだ。

うっかり、もう大人だからなんて言って自分を縛ってしまうのは勿体ない。

そのようなことを思いながら、この日の私は自分好みの真っ新なノートに、あれやこれやと無心に書き綴った。

自分だけの自分のための自分ルールで過ごす時間。

ご一緒にいかがですか?

今日もここへ足を運んで下さった皆さんに、優しい風が吹きますように☆彡

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