幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

日本のこころ

刺繍の奥にある景色。

長年愛用している革製のコースターがある。 母の友人に革細工を趣味にしている方がいるのだけれど、その方が、ようやく人様に贈れるくらいの腕になったからと言ってプレゼントしてくれたものだ。 そのコースターを母と半分ずつにしてから随分と年月が経った…

夏の訪れを知らせる蓮と心豊かな暮らし。

スタイリッシュな墨色をした鉢から伸びた細い茎の先には、顔を覆ってしまえるくらい大きな葉と、濃い桃色をした蓮(ハス)の花があった。 蓮(ハス)は、夏の訪れと共に咲き始める花である。 その多くは、池の中から茎を伸ばして花を咲かせることで知られている…

夏の知らせが届いた日。

梅雨真っ只中だと思っていたその日、雨が止んでいる僅かな時を狙ってのことか、我が家にも今年の蝉、第一号がやってきた。 目覚めの悪い体をグイッと起こしてベッドの上でぼーっとしていると、すぐ近くで鳴く蝉の声がダイレクトに脳に届いた。 わっ、ついに…

七夕に降る雨は涙。 

毎年この時季になると、七夕飾りの竹が設置されるショッピングモールがあるのだけれど、今年は竹の代わりに、感染症を防ぐため竹や短冊を設置しないことが書かれた貼り紙があった。 この短冊を利用したことは無かったけれど、竹に飾られる短冊が日に日に増え…

半夏生期間を楽しんでみる。

1年の半分が過ぎたなんて本当だろうかと手帳を捲り直してみたけれど、あれやこれやと書き込んである手帳を前に観念した柊希が本日もお届けいたします。 本日は半夏生(はんげしょう)期間の初日でもありますので、そのようなお話をと思っております。 ご興味…

遅れ馳せながら、自由に楽しむ和菓子の日。

あ、気付けば6月16日が過ぎてしまっている。 開いた手帳に細々と書き込みながら気が付いた。 さすがに「和菓子の日」までは記されていない私の手帳を眺めながら、来年の手帳レフィルを購入したら6月16日のスペースに「和菓子の日」であることを書き込…

水浴びで輝く福助ご一行様。

プールに飛び込みたくなるような、太陽が燦燦と地上を照らしていたその日、いくつもの福助人形を目にした。 そこは、年季が入った店構えの小料理屋の店先だったのだけれど、柿渋色をした木製のベンチ椅子の上に、大小様々なそれが並べられていた。 よく見る…

満月の夜に思う田毎の月。

この時季の満月を見上げると、「田毎の月(たごとのつき)」という言葉が思い浮かぶ。 田植え前の水が張られた田んぼ毎に、月が映り込む様子表した風流な言葉である。 この言葉が指す風景は、長野県にある姨捨山(おばすてやま)の麓で見ることができるという。 …

手放しかけているものの中にあるもの。

遠目からでも美しさがハッキリと分かるそれは、白いツツジの花だった。 どことなく青色を含んだような澄んだ白は、触れることを躊躇うくらいの瑞々しさを放っていた。 この時季に咲く花は、苗代花(なわしろばな)と言って、山の神様に田んぼに来ていただく…

知名度が密かに上昇しているアマビエとは何ぞや?

最近、国内外のアーティストの方々が描いたり、作製したアマビエを目にする機会が増えた。 「国内外を問わず」というところに、世界規模での一体感が感じられる。 アーティストの個性や思いが感じられて目や心の保養にもなるのだけれど、ご利益もあってほし…

器の中に見て感じる春も、なかなか風流です。

イキイキと咲いている向日葵の前を通り過ぎた先で揺れていたのは、淡いピンク色をしたコスモスだった。 この時季にコスモスなど咲くはずがないという先入観が、そのピンク色を私に二度見させたように思う。 暖冬の影響によって冬を越してしまったのか、咲く…

ヴィヴィットピンクの衝撃と江戸の粋。

風が強かったその日、前から歩いてくる女性が羽織っていたチェスターコートの前身頃の半分が風に煽られた。 表側はブラックカラーのシンプルなチェスターコートだったけれど、裏地は、時折、海外ブランドの裏地で目にするようなヴィヴィットな強いピンク色を…

雛人形にも第二の人生があるようだ。

ひな祭りのお飾りとして準備した生け花を片付けた。 暖冬の影響か、私が部屋を暖めすぎていたからなのか、今年の春告げ花たちは駆け足で咲き散っていった。 あっという間だったけれど、春色や各々の甘い香りなど十分に楽しませてもらったように思う。 うさぎ…

「暮らしを楽しむ」と「丁寧に暮らす」は近いところにある。 

ここ最近、春のお弁当をいただく機会が続いていたのだけれど、どれも丁寧な仕事ぶりが伝わってくる日本料理で全く飽きることなく堪能することができた。 小さな重箱を開けた時の、目に飛び込んでくる春の色合いは、期待感をしっかりと後押ししてくれるものだ…

10種15個と口上師。

片付け忘れていたお正月飾りの打ち出の小槌に気が付いたのは数日前である。 飾っていた空間に馴染みすぎていたのだとしても、艶やかさをもったそれを見落とすなどあるだろうかと、狐につままれたような気分になった。 せっかくなので小槌をひと振りし、「ま…

「あたりばち」と「言霊の幸わう国」。

キッチンツール売り場で探し物をしていると、「あたりばちは無くてもいいんじゃない?」「あたりばちはいるでしょ」と、母娘であろう女性たちの声が聞こえてきた。 「あたりばち」とはなあに? お目当てのものに出会うことができず、その場を離れようとして…

季節の分かれ目だからこそ。

本日は節分、季節の分かれ目となる日である。 節分とは本来、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを指しており、年に4回あるものだ。 これが、一年は立春から始まるという考えのもと、室町時代辺りから立春の前日を節分と呼ぶようになったといわれている。 …

出遅れてしまった丑紅を求めて。

寒の入りをした日、今年は丑紅(うしべに)でも新調しようかと思っていたのだけれど、気が付けば、そう思ったことがすっぽりと頭から抜け落ちたまま、寒の明けまであと数日というところまで来てしまっていた。 以前、この時季は、口紅を新調するのにも良い時季…

内助の功か、取締り官か。

そのうち開くであろう時季外れの新年会用にと、日本酒を探し求めに出かけた。 お目当ての品は、この時季に味わうことができる「新酒」や「しぼりたて」と呼ばれるもの。 この表現に正式な決まりはないと言われているので、多種多様な視点による「新酒」や「…

汁なしのお雑煮が、雅な姿に大変身。

時折、口にする和菓子の美味しいこと。 その中でも桜餅やお月見団子など、季節の行事と結びついているものとなると、美味しさが数割ほど増すように感じられるものだから、気が付けば、ひと口を普段よりもじっくりと味わっているように思う。 冬の寒さが深ま…

七草囃子を七草粥に纏わせて。

普段よりも随分と早起きをしたその日、遠くの東の空が濃いオレンジ色に色づき始めていた。 目の前の空に浮かぶ雲には、昇ってくる太陽のオレンジ色が反射して辺りを照らしており、淡いピンク色とオレンジ色を混ぜ合わせたような美しい朝焼けが広がっていた。…

お年玉や御年賀にムクロジの羽根を添えて。

日本の年末は慌ただしい。 昨日までクリスマスの雰囲気に包まれていた街中の景色は、早着替えのようなスピードで、新年を迎えるための装いに入れ替えられ、新年までのカウントダウンを始める人も多いのではないだろうか。 私も、その年最後の力を振り絞るよ…

文明の利器と洗い屋とスティックのりと。

ズボラなりに少しずつ年末の大掃除を始めた。 月末にまとめて一気に仕上げるスタイルを止めてから、既に何年も経っているのだけれど、未だに、師走に突入すると目に見えぬプレッシャーに急かされるように思う。 現実は、私のことを誰も急かしていないという…

茶の花香よりも大切なもの。

約束の時間よりも少しだけ早く到着した私に、お店の方が日本茶を淹れてくださった。 その日は、暖房のスイッチを押すか否かで迷うような朝から始まり、日中もひんやりとしていたため、冷えた体にじんわりと広がっていくお茶の温かさはとても有難かった。 ほ…

遊び心の印、遊印。

隙間時間を利用して小物整理を始めた。 この日のターゲットスペースは書道道具を収納している辺りだ。 筆の取捨選択を行い、墨や墨汁の状態をひと通り確認し、硯(すずり)や落款印(らっかんいん)も確認した。 落款印(らっかんいん)を確認していると、彫られる…

ごろり大の字と畳の縁。

窓から流れ込んでくるさらりとした秋風が心地良くて、思わず和室に大の字で転がった。 できるだけ「大」の文字に忠実に大の字で転がる。 たったこれだけのことなのだけれど、やってみてはじめて、大人になるにつれ縁遠いものになっているのだと気付かされる…

ハレとケを見守るエニシの場所。

予定時刻まで時間に余裕がないときに限ってタクシーが捕まらない。 それもそのはず、その日は土砂降りが長引いており、ほとんどのタクシーが出払っていた。 他の移動手段も脳裏を過ったけれど、このような時は急がば回れ。 専用ベンチに座って、薄灰色に染ま…

お作法|水引とキャラメル包みをチラリとのぞく日に。 

長年愛用していた箸置きをキッチンの床に落として割ってしまった。 和にも洋にも馴染むシンプルなデザインで気に入っていたのだけれど、別れは突然であった。 いつまでもあると思うな何とやらではないけれど、私は、その箸置きが無くなると考えもしていなか…

雑節が知らせてくれる“あれやこれや”をのぞいてみる日。 

テレビ画面に連続して映し出された「秋」の文字に、体の中に留まっている夏の熱が静かに引いていくような気がした。 そして、過ぎ行く準備を始めた季節にもう少しだけと手を伸ばしてみたくなるのも、あわいの時のお約束のように思う。 既に出来上がっている…

八朔の日と心穏やかに暮らす知恵。

先日、新年のご挨拶をしたばかりのような気がするのだけれど、あっという間に8月である。 毎年思うことが一緒なら、もう一層のこと、時間など無くしてしまえば良いのにと、妙なことを口走りそうになる私をよそに、壁掛け時計の秒針はカチリ、カチリと乾いた…