幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

チャーハンの思い出

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自宅でチャーハンを作る時、

決まって思い出す事があります。

 

私が高校生だった頃、

家庭科という授業があり、その中に調理実習がありました。

その日は皆でチャーハンを作ろうという授業でした。

 

授業ではあるのだけれど、

いくつかのグループに分かれて

皆でワイワイ料理をして食べる時間というのは

学校生活の中でもちょっぴり非日常を味わえる時間。

そんなワクワクする時間の思い出は、

当然、ワクワクがよみがえるものであって欲しいと思うのです。

 

しかし、私の当時の思い出と言えば

チャーハンを炒める時、

“木べら“ではなく“おたま”で炒めて叱られた事なのです。

当時も今も、私にとってはどうでもいい事なのだけれど、

その家庭科の先生が、

貫禄のあるふくよかな体系をした

とてもとても厳しいK先生だったからなのか。

どういう訳か、私の記憶から消える事のない出来事のひとつになっています。

 

チャーハンを炒める作業が役割だった私は

家でやっていた通り、

目に入ったもの(この時は“おたま”)でシャッシャッと具材を炒め始めました。

しばらくして、見回っていたK先生の雷が落ちました。

 

「柊希ー、何を使って炒めてるの!!!」

 

キョトンとする私にK先生のお叱りの声は続いた。

 

「チャーハンを炒める時は“木べら”でしょう。

 あなたのお母さんは“おたま”で炒めるの?違うでしょう?」

 

とりあえず、笑って誤魔化し木べらに持ち替えました。

しかし、内心納得は出来ていませんでした。

私からすれば、中華はおたまで混ぜたり炒めたりするし

目の前に“木べら”ではなく使える“おたま”があったのだから、

使えるものを使って何が悪いのかしら?

炒められればいいんじゃないの?そんな感覚でした。

※一応、授業なの先生は間違ってはいないのだけれども……。

 

しかも、私の母はその様な事はあまり気にしないたち。

きっと自宅のキッチンで私が“おたま”で炒めていても

何も言わないだろう。

 

大人になった私は、今日は“木べら”でチャーハンを炒めています。

だけれども、ここに“おたま”しかなかったのなら

迷わず“おたま”で炒めています、120%の確率で。

あの日の出来事を思い出しながら、

 

もの事を見る目線や切り取り方感じ方は、

本当に様々なのだなぁと感じる。

 

K先生にとって“おたま”は

余程の事が無い限り“木べら”にはなりえないのです。

私にとっては、なりえる事だとしても。

 

世の中、色々な物の見方があるものです。

どうしても自分を基準にして見てしまうので

気持ちが反応してぶつかったりする事もあるけれど

人の数だけ視点もあるのだと思います。

 

そんな事を考えながら作ったこの日のチャーハンは

サーモンとほうれん草とゴマの和風チャーハン。

あなたのお昼ごはんは何かしら?

今日も美味しく召し上がれ。