幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

きっかけは些細な事であることが多い。もっと肩の力を抜いて楽しもう。

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きっかけなんて些細なことなのだと、よく思う。
サッカー選手がサッカーを始めたきっかけが漫画のキャプテン翼だったり、
お医者さんが医師になったきっかけが漫画のブラックジャックだったり、
電車の中でたまたま目があった子供の笑顔をきっかけに保育士を目指したり、
身近な人に喜んでほしくて、
身近な人の笑顔が見たくて、
身近な人の力になりたくて、
何だか、ワクワクすることが待っている気がして、
ただただ、これが良い!と思ったり(これも立派なきっかけだ)。
きっと、きっかけは小さな小さな種なのだろうと、思う。

 

私自身、何かを始める時に、
どうしてそうしようと思ったの?と聞かれることがあるのだけれど
ほとんどと言っていいほど、きっかけは大した事ではない。

 

些細なことゆえ、自分自身もそれが原点だという認識がなく
会話を交わす中で薄れている記憶を手繰り寄せてようやく、
「あぁ、これがきっかけか」と気づくことも少なくない。
それが相手にとって意味不明な事である場合もあり、きっかけを話す事を躊躇うことだってある。

 

これまでを振り返って俯瞰しても、
小さな種がきっかけとなって起きた出来事や湧いた思いの中に
次の小さな種があり、その種もまた同じように次へ繋がっていた。
世の中にある事に偶然はないのだろう、と思う。

 

そして、その小さな小さな種を拾うか、拾わないか。
無意識下で自分が決めている。
人の言葉に影響を受けることもある。
だけれども、最終的な判断を下すのは何時、何時であれ自分自身。


自分の目の前にある自分の人生は
間違いなく自分自身が作り上げているもの、世界なのだ。

 

大変な時間の中にも
嬉しい時間の中にも
何気ない日々の中にも
次のステップへのきっかけがある。
見つけられたのなら、その時なのかもしれない。
見当たらないのなら、今はまだその時ではないのかもしれない。

 

サッカーの試合をBGMに、
やけに泡立ちの良い食器洗い洗剤の泡を見つめ
お気入りの器を洗いながら、そんな事を考える。

 

洗い物をしながらデザートの事を考えていたはずなのに
サッカーのBGMから“きっかけ”について思考が巡りだし
自分のこれまでをさらさらっと振り返り、
何だかデザートからは程遠い場所へ着地した私の思考。
これひとつとってみたって、“きっかけ”は些細なことだ。
そして、そんな思考回路の自分に半ばあきれながら本日のデザートを選びなおす。

 

“きっかけ”がそういうものなら、
もっと肩の力を抜いて毎日を楽しんでもいいということなのだろう。
今日も楽しむ事を忘れずに。
明日も楽しむ事を忘れずに。

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