日本語というものは言葉でありながら、
言葉では伝えられない様々な気持ちを含んだ言葉がたくさんあり、なんて奥ゆかしいのだろう、と思う。
いつのことだったか正確には覚えていないのだけれども、その日は新幹線で移動することになっていた。
チケットに書いてある座席番号を確認しながら予約していた席へ行くと、進行方向とは逆を向いていた。
女性三人でのご旅行だったようで、座席がクルリと回転して向かい合わせになっていた。
座席を元に戻しますと言ってくださったのだけれども、
既に盛り上がっている空気を壊すような気がして、
私の乗車時間は短かい事をお伝えして、空いている自分の席に座ることにした。
楽しそうなおしゃべりをBGMにウトウトしていると、
贈り物を渡す時に「つまらないものですが、」と言われると
あまり良い気がしない、別に気にならない、という話題でひと盛り上がり。
日本古来からある、自分のことをへりくだって伝えることで、相手を立てる言い回しなのだけれども、私もあまり使わなくなった言葉だと思った。
多くの人が、「つまらないもの」だと思って贈っていないことも、
相手を立てる言い回しであることも理解してはいるものの、
時代とともに感じ方が変化し、今の時代に「つまらないものですが」と添えると
逆に失礼な印象になってしまっている。
私も「つまらないと思っているのなら贈らないで」と言われたわけではないのだけれど、
そのような受け取り方をされたら嫌だな、という思いが無意識に働いて
「気に入っていただけると嬉しい」
「こころばかりですが」
「お口に合うかわかりませんが」などの言葉を使うようになっている。
そして、それが現代のお作法にもなっている。
相手のことを思う気持ちから生まれた言葉が消えていくのは、
どこか寂しい気もするなと思った次の瞬間ハッとした。
言葉に込められている気持ちも大切だけれども、一番大切な部分は相手の事を思う気持ちだ。
その部分は昔も今も変わってはいない。
それならば、現代人にとって「つまらないものですが」が心地良さを感じられないのであれば、
現代を思う気持ちを元に言葉も生まれ変わるのだろう、と。
残る言葉は残り、合わなくなった言葉は形を変えて思いを引き継いでいくのだろう。
思考の着地点にたどり着いた私は目を開けると降り支度を始めた。
そうすると、三人組の女性の一人に話しかけられた。
「煩くしてごめんなさい。四年ぶりの再会だったので、つい。お口に合うか分からないけれど、どうぞ。」
とサラダ味のプリッツをひと箱差し出してくれた。
私は、ありがたくいただいて席を立った。
いただく側も「つまらないものですが」と言われるより、
「お口に合うか分からないけれど」と添えてくださった方が
「ありがとうございます」と言いやすいのだと改めて実感した。
四年ぶりの再会旅行は楽しかっただろうか。
数年経ったけれど、そのようなことを思い出した昼下がり。
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