今年の冬は暖かく感じられ「真冬」という言葉もどこかしっくりこないと思っていたけれど、
自然はしっかりと帳尻を合わせてくるようだ。
ここ数日の冷え方と言ったら、急に巨大冷蔵庫の中で作業をして下さいといわれているような気分だ。
朝から家中の窓を豪快に開け放って換気をするのだけれど、あっという間に家の中がキンキンに冷えてしまう。
換気もそこそこに、リビングダイニングのエアコンの風量を最大値まで上げて、温かい飲み物を準備するいつもの朝。
この冷えを体感しているのは何も人だけではない。
ジャムやハチミツの蓋もギュッと縮こまってしまって、どんなに力いっぱいひねりを加えても蓋が開いてくれない。
忙しい朝に限って、このような事が起こる。
本来ならば、小さなお鍋に水をはって沸騰させて、少し冷ましたところに瓶の蓋を漬けて温めたりするのだろうけれど
私は大雑把に、ガスコンロの直火で蓋部分を炙る。
色々と問題はあるのだけれど大事に至らないように気を配りつつ、ちゃちゃっとやってしまう。
学生の頃、一人暮らしの私の部屋へ遊びにきていた友人の前で同じことをした時、「危ないよ」と大きな声で言われ、
私は彼女のその声の大きさにビックリして、手にしていた瓶を握りなおした時のことを思い出した。
何事も慎重に丁寧に行う友人だったけれど、今も元気にしているのだろうか。と。
そんな事を思いながら、その日は練りごまの蓋を直火で温めた。
そうこうしている間に、土鍋ご飯の蒸らしが完了したようだ。
白米の良い香りに吸い寄せられるようにして土鍋の蓋を取る。
覗き込んだ時の違和感。
どうやら水の分量を間違えたようだ。
普段炊いているお米の量よりも少なくしたり、多くしたりした時に起こる私のうっかり。
少々言い訳がましいけれど、慣れというものは怖いもので、
体が勝手にいつもの水の分量を覚えていて半分無意識のままお水を入れてしまうのだ。
この日は柔らかくなりすぎているようだった。
せっかく土鍋からよそって食べようと思っていたのに
お茶碗に移してラップなしで電子レンジのお世話になる。
1分程加熱すると水分が程よく飛んで美味しそうなご飯に変身。
だけれども、私のテンションもまた程よく飛んでいつも通り、に到達。
静かに白米を口に運びながら、
ちょっとしたアクシデントはサクサクッとかわせるようになっている自分を褒めてみる。
知識は忘れてしまう事があるけれど、硬くなった蓋を開ける方法や、
柔らかく炊いてしまったご飯を美味しくする方法のように、
ある知識は使ったり、体感してみたりすることで知識から知恵に変化するのかもしれない。
その日は、そのような事を思いながら身支度を始めた。