言葉を扱っていると、言葉を通して様々な世界に誘われることがある。
現代語を扱っている流れから古語に辿り着き、
その古語を扱おうとしたら、その時代背景を知ることになったり、
知りたいものは古語だったはずなのに、
実はヨーロッパの言い伝えと密接な関係があった、
ということからヨーロッパのある時代へ飛ばされ、
どういう訳か外国語の辞書をパラパラ捲っている、なんてこともある。
それはそれは、壮大な時間旅行をさせられるのだ。
時々、今知りたいのはそこじゃない!それじゃない!
手っ取り早く答えに辿り着かせて!
などと思ってしまう事もある。
だけれども、本来の目的を達成出来た時にふと自分の両手を見てみると
目的だったこと以外の手土産をたんまりと手にしていたりする。
そして、そちらの方が何倍も魅力的な何かであったりもして、
私の胸は小さく跳ねるのだ。
それを素直にありがたいと思えるようになってからは
この「壮大な時間旅行」に逆らわず、自分を委ねられるようになったように思う。
自分の思うような流れではない時、
足掻いてみても流れが変わらない時、
目の前の流れに自分を委ねながら状況を眺められると、
思いのほかすんなりと目的地にたどり着けたり、
目的地よりも素敵な場所に辿りつけることもあるようだ。
私の心内はさておき、
ある日の私はやり取りを交わす中で
様々な「かげ」を連想する事が多かったこともあり、
「かげ」について想いを巡らせていた。
そして、遠い昔に「陰と影」の使い分けを調べた事もあったな、なんて思い出したりもして。
日本語は似たような意味を持っている漢字が多く在り、
時々、この場合はどちらを使えばいいのだったかしら?と思うことがある。
皆さんは「陰と影」、使い分けられていますか?
「陰」は、お日様の光が建物や物、人といった何かに遮られて
光が当たらずにできた暗い場所を指します。
「影」は、お日様だったり、お月様、星や灯りなどの光が
建物や物、人に遮られて、光の反対側にできる暗い場所を指します。
「陰」は光とセットではないけれど、
「影」は光とセットになっています。
日陰と日影も同じ暗い場所だけれども、異なる雰囲気の場所を指しています。
小説などを読んでいる時に「かげ」という文字が出てきたら、
「光」の状態を想像してみてくださいね。
ひと味違った、よりリアルな情景があなたの脳裏に広がるのではないでしょうか。
これは余談ですが、「陰」は「光」が見えないですよね。
人の内面も、お日様は関係なく日光が直接当たる場所ではないので
「陰口」、「陰のある人」といった場合には、こちらの「陰」が使われています。
今回は、普段使い慣れて見慣れている文字だけれども
ふと「どっちだったかしら?」と思ってしまうような文字を、
少し違った角度から観察してみました。
どこかで、お役にたてましたら幸いです。