偶然手に取った雑誌にドールハウス(ドールズハウス)の記事が載っていた。
ドールハウス(ドールズハウス)とは、
私たちの生活空間とそこにある物、家具や家電などを丸ごと小さくした模型の家のこと。
その空間にお人形や動物のキャラクターを住まわせて遊ぶ、
(大人もはまる)子ども向けのおもちゃだ。
その記事を眺めながら
街中がクリスマスイルミネーションやディスプレイで賑わっていた
昨年のある光景を思い出したのです。
その日は、楽しい空気感の中に混じる年末の慌ただしさを感じながら幾つかの用事を済ませ、
少しだけ息抜きにと、街中をあてもなく歩いていると、
ある一角に人だかりができていました。
何ごとだろうと興味が湧いた私はその場を通ってみることに。
近付くに連れてお店の入り口の人だかりが、
小さな子ども連れの親子たちだということが分かりました。
だけれども、大人は大人で、子どもは子どもでお店の前に列をなしていたのです。
しかも、その子どもたちはまだ3歳か4歳くらいでしょうか、とにかく小さな子どもたちでした。
お店の前を通る際、
一瞬でその行列の意味も大人と子どもが別々に並んでいる理由が理解できました。
そのお店には、一般的な出入口以外に子ども専用の小さな出入口があったのです。
その子どもサイズの出入口は目立つアピールをしているわけではないのだけれど
お店を訪れたお客さんたちは、瞬時に理解し利用していたのです。
このお店はこのような所にまで手間暇をかけたのだなと
現実的すぎる視点が脳裏をよぎる自分に
「あのドアに目をキラキラさせて並ぶ子どもたちが抱くワクワク感よ、私にも来い!」
などと思いながらその場を後にしました。
人は誰でも心の奥底では大切にされたいと思う生きもの。
だから、日常の生活の中でも自分だけのためのモノやモノゴトに
心を揺り動かされることがあります。
ちょっとした特別扱いにも似たような感覚でしょうか。
それは、小さな小さな子どもとて同じなのだと、その光景をみて改めて感じたのです。
大人は通ることが出来ない子どもの専用の、自分専用の、ドア。
小さな彼らは、お店から特別に扱ってもらえた気分を無意識のうちに感じ取っているのかもしれません。
そこには大人の事情や戦略も見え隠れするのだけれど、
このような遊び心に、いつだって乗ることができる潤いある心で過ごしたいものです。
ドールハウスは、子どもだけではなく大人のファンも多く、
これもある種の「自分だけの」という特別感を感じたり
表現できる場になってるからなのかしら?
と思いつつ、年々精巧さが増すドールハウスに関心したのでした。