ある日のお酒の場で、「金時の火事見舞い(きんときのかじみまい)」ということわざが飛び出した。
ん?ん?ん?
あまりにも久しぶりに耳にしたリアルな言葉の響きに一瞬、私の頭が出遅れたのですが、目の前に座っていた知人を見て、確かに、と思ったのです。
この「金時(きんとき)」は坂田金時(さかたきんとき)という人物のことで、
この「坂田金時(さかたきんとき)」とは、
あのマサカリを担いでクマに跨って独特なセンスの菱形腹掛けを着けた、元気で力持ちの金太郎が大人になった時の名前です。
金太郎は昔話の中でも多くの人にとって馴染みある人物ですが、昔話以外にも親子共々逸話が残されています。
しかし、逸話が残されているにも拘わらず、金太郎は実在しなかったのではないだろうか?という説もあり、なかなか興味深い人物なのです。
今回は、そのようなお話を少し、と思っております。
ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていって下さいませ。
実在の有無は定かではありませんが、残されている書物の中に居る彼は、常に赤ら顔の人物として描かれていることが多いこともあってでしょうか。
昔の人々の想像は膨らみ、赤ら顔の金時が火事見舞いに行くと、彼の顔は炎の熱によって更に赤さが増すだろうという理由で、
お酒を飲んで普段よりも顔が赤くなる様を例えることわざとして彼の名が使われてきたようです。
とは言うものの、私自身はこの言葉を実生活で使った記憶がなく、周りに使う人も現れなかったため、時代物の読み物の中で触れるに留まっていた言葉でした。
それが、思いがけないタイミングで目の前に現れたため少々面食らってしまいましたが、
同時にワクワクもしまして、お酒の席を後にしてからも「金時」という言葉が、頭の片隅を浮遊しておりました。
その証拠に季節柄もあるのですが目で拾う文字が「宇治金時」やら「甘くてふっくらした金時豆」、
たまたま捲っていたレシピ本では「能登金時(さつまいもです)」に「金時人参」と、
ちょっとした金時まつりというあり様でございました。
程よい甘みが美味しい小豆の甘煮や、金時人参、能登金時、金時豆などからも分かるように、昔から赤いものは「坂田金時」の赤ら顔を連想したようで、「金時」と呼ばれているようです。
これだけカラフルで繊細な色が当たり前のように溢れている今の「赤」と、古の「赤」には少々誤差も感じられはするものの、
このような表現を使うことで、古の人の目線で、世の中にある色を見ることができるのも、また一興のように思うのです。
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