最近はまっていることがあるのだと、友人が楽しそうに話してくれた。
その中身に関しては、聞いてはみたものの、質問もしてみたものの、
私にはあまりよく分からない世界だったけれど、
楽しそうに話す友人が可愛くて、素敵で、何だかいい時間だな、と思っていた。
友人は、ひと通り話し終えたのか話し疲れたのか、
目の前のコーヒーをひと口、またひと口と口へ運び「だけどさ……」とため息交じりに漏らした。
その自由奔放すぎるテンションのアップダウンの激しさに、
私が「え?何?どうしたの?」と尋ねると、
そんなことをして、何になるの?と言われたのだそう。
そして、実際のところ、これから先、何かに役立つわけでもなく、ただ楽しいだけのことゆえ、
返す言葉がなく胸の内がモヤモヤしているのだと。
最後に添えた、「気にはしていないんだけどね。」という言葉が宙を舞った。
いやいや、ため息をつくほど気にしてるじゃないか。
テンションの下がり具合をみれば一目瞭然じゃないか。
と突っ込んでも良かったのだけれども友人の葛藤の現れだったような気もして、
その場はその言葉を何となく飲み込んで友人に耳を傾けた。
答えは簡単だと思うのだ。
そのような事を言われたら、「私の人生が豊かになるの。」と
ニッコリ微笑めばそれでいいのではないだろうか、と私は思う。
私自身、趣味や好きなことが両手いっぱいあり、
何かにはまれば、自分が納得できるまでとことん楽しんでしまう性質がある。
そんな私にも、子どもの頃から大人になった今でも
「そんなことをして何になるの?」
「そんなことに時間を使ってもったいないんじゃない?」と問うてくる人はいる。
その時は決まって「私の人生が豊かになるの」と微笑み付きで返すことにしている。
その後の相手のリアクションは様々だけれども、
例え、内容を理解し合えなくても、同じ温度で楽しいと思えなくても、
そういうものが各々にあるという視点を持つことができれば、
その視点で分かり合えるような気がしている。
例え、相手にとっては意味のないことだったとしても、
自分にとっては楽しいことで、興味があることで、知りたいことなのだもの。
「楽しい」という気持ちがあるというだけでも、
人に説明する必要もないくらい、意味だって十分にあると思うのです。
ただ、尋ねられれば答えなくてはいけないような気がするのも人の性。
似たようなシチュエーションに遭遇した際には、
「私の人生が豊かになるの」と微笑み付きの答えを使ってみてはいかがでしょう?
ものごとは思わぬ所で繋がっているものだから、
その時間も経験も感じた得た全ての感情も無駄にはならないと思うのです。
自分の人生の主人公は自分だもの。
自分自身が納得できる瞬間をひとつ、ひとつ大切に重ねていけたなら、
素敵だと思うのですが、いかがでしょうか?