新しいものを使い始める時というのは、なんとなく気分が高揚する。
もちろん、高揚の度合いに大小があり、気分の持続時間も様々なのだけれど。
ある日の朝、歯を磨こうとしたときに、ささやかなその時が訪れた。
手にした歯ブラシに視線を落としたあと、
新しいものと交換するために収納スペースの扉を開けた。
何本かの買い置きの中から今の気分に合う1本を選ぶ。
どれを選んでも同じだと思うのだ。
ただ、暮らしの中の小さな選択の場で自分の中に在る一番の声を聴くことができたのなら、
大きな選択肢や分岐点が目の前に現れた時に、
自分自身が後悔しない一歩を自然に選ぶことができるような気がしている。
そして、こうして言葉にしてしまうと少し仰々しく聞こえてしまうのだけれども、
ほんの一瞬立ち止まって、
今の自分が一番に心惹かれている歯ブラシはどれかしら?
とささやかな時間を楽しむことも、そう悪くはないと思っている。
この日は程よいフレッシュ感を感じさせるライムグリーン色をした歯ブラシを選び、
ついでに新しい歯磨きペーストも取り出した。
使い始めの出だしの部分は、いかにも「始まり」といった形状で出てきて嬉しいけれど、
さすがにCМのような形状にはならないのだな、
などとどうでもいい事も思ってみたりして。
シャカシャカと音を立てつつ口の中を泡でいっぱいにしながら、
どうでもいい事ついでに、歯磨きの習慣はいつからなのだろうかと思う。
いつぞやか、お世話になっていた歯科医から
古代人は繊維質の食事を摂ることが多かったため虫歯になる事も少なかったようだ。
という話を聞いたことは覚えているのだけれど、
いつの時代の人たちが何をきっかけにして歯磨きを始めたのかは、
すっかり記憶から抜け落ちてしまっていた。
「ながら磨き」はダメだと歯科医に何度も指摘されたことがあるのだけれど、
指摘を好奇心が追い越してしまうのだもの、仕方がない。
シャカシャカと歯を磨きながらスマートフォンを取りに行き検索を始めた。
皆さんもどこかで目に、耳にしたことがあるかと思いますが、
人は随分と昔から草や小枝などを使って歯や口の中のお掃除をしていました。
これが、私たちの今の習慣と変わらぬスタイルとして定着しはじめたのは、
紀元前5世紀頃のインドだという説があるようです。
事実確認はできませんが、
あの釈迦が読経の前に歯磨きをすることを戒律に定めたようなのです。
身を清めるお作法のひとつとして
仏教経典に楊枝での歯磨きがひとつの儀式として記されているのだそうです。
このお作法が日本にも仏教と共に伝わったのだとか。
歯磨きが仏教と繋がっていたなんて少し意外なのだけれど、
きっかけは、いつだって少しの意外性を含んでいるものなのかもしれません。
お作法として一部の人たちの間で習慣化されたものが、
時代を経る中で庶民にも広がり、
広がると同時に便利さや快適さ効果、効能など様々な改良が加えられ、
私たちの歯磨き習慣や歯磨きアイテムにまで発展したようです。
この日は朝から気になったことを調べることが出来て気分もお口の中もスッキリ。
歯は思っている以上に大切で、健康にも繋がっている部分。
毎日頑張ってくれている歯を、
今日は普段よりも気持ち念入りに磨いてみてはいかがでしょうか。
本日も、ここへ足を運んで下さった皆さんが笑顔でありますように☆彡