待ち合わせの時間が近付いた。
駅の改札付近に移動しいつもの如くバッグの中からスマートフォンを取り出していると
横に立った2人組の大学生らしき女性たちの小さな会話が聞こえてきた。
来年は社会人になるようで入社する会社に対しての不安や、
社会人になることへの希望などを話しているようだった。
私はどのような気持ちで社会人1年目を迎えたのだろうか。
遠い記憶を辿ってみたけれど、
キラッと輝くような記憶には辿り着くことができなかった。
きっと今とあまり変わらずマイペースに1年目を迎えたのだろう。
その時にふと思い出した。
今ではすっかりと慣れてしまっている尊称の御社、貴社と言った言葉も、
初めて使ったときには何だか照れくささと使い慣れていないことからくる不安とが入り混じりって
妙な気分だったことを。
そして、言葉の意味を知っていることと使うことはできるということは、
似ているようで別物だと感じたのもあの頃だった。
御社の意味も貴社の意味だって知っていた。
どちらを使っても間違いではないことだって知っていた。
だけれども、いざ自分が使おうとした時にどちらでも良いでは腑に落ちなかったのだ。
意味も使い方も大差ない言葉だけれども、御社は話し言葉で、貴社は書き言葉。
このようなルールを知ると、
記者や帰社などの同音異義語が多い貴社を話し言葉として会話や電話などで使うと、
少々面倒であることも容易に理解できた。
話し言葉には「御」の字をつけ、書き言葉には「貴」の字をつける。
気が付けば、そのルールを使い分ける自分が出来上がっていた。
だけれども、いつからだろう、あの照れくささや不安が無くなったのは。
その瞬間だけは、いくら考えても思い出せないままだった。
敬意を表すための尊称だけれども、
慣れやルールにとらわれ過ぎてしまうと、心なきものになりがちな言葉でもある。
使いどころを見極めて、心ある言葉にして発信したいと
いい大人になった今、改めて思うのでありました。