雑誌をパラパラと捲るような感覚で詩本をパラパラと捲る。
傍から見れば、また読んでるの?飽きないね、古文好きだね、
などという印象を与えるらしいのだけれども、
そのような事を聞く度にほんの少しだけ、期待を裏切るようで申し訳ない気持ちになり、
真の姿はそう簡単には伝わらないものなのだなと思う。
確かに、よく手に取っているし、飽きることもないし、古文が嫌いという訳でもない。
だけれども陶酔しているのとは違うのだ。
それに、古語の意味が全く頭の中に入ってこず、調べることもせず、
サッパリ意味が分からないまま飛ばし読みをしていることも多々ある。
だから、私にとっては冒頭のような雑誌をパラパラ捲ることと大差はなく、
一度、頭の中で映像化した詩の世界を眺めているだけ、のような感覚。
ある時、鞄の中から出した古事記を見た友人に何処が好きなのかと聞かれたことがある。
いかにも、という返答を期待したのだろうけれど、
私が返した答えは、「くだらないことを大真面目に語っているところや、
リアルに想像すると突っ込みどころ満載なところ」というもの。
キョトンとしていた友人の表情が可愛くて、
期待は良い意味で裏切ってもいいのだな、そのようなことを思った。
私のことはさておき、本日のタイトル、「君に恋ふ、君を恋ふ。あなたはどちらのタイプ?」。
万葉集やこの時代の詩には恋心が込められているものがとても多いのです。
それらを読んでいるとあるフレーズに遭遇するのです。
「君に恋ふ」と「君を恋ふ」。
前者は、あなたに恋心を抱いています、あなたに惹かれています、といった少し控えめなニュアンス。
後者は、あなたを想っている、慕っている、といった積極的な、求めるようなニュアンス。
この時代の恋心は公にするものではない、
控えめな時代だったように想像してしまうけれど、
あの少ない文字数の中には様々なシチュエーションの恋や愛が描かれており、
私たちが触れる現代の恋愛ドラマよりもドラマティックだったりもするのです。
いつの時代も人の原動力の源には愛があるのだと感じます。
もちろん、これは男女間に限ったものではなく広い意味での愛なのだけれども。
あなたは前者タイプかしら?後者タイプかしら?
今年もあなたらしい愛を育んでくださいませ。