あ、駄菓子屋さんだ。
子どもの頃に利用した経験は少ないのだけれども、
ワクワクするあの雰囲気に吸い寄せられるようにして、つい足を踏み入れてしまうのだ。
大人になって、そこそこ美味しいものも知っているけれど、あの未完成の味に手を伸ばす瞬間。
大人は“思い出と共に味わう未完成の醍醐味”のようなものを無意識下で知っているのだろうなと思う。
私は国内外を問わず、駄菓子屋を見つけるととりあえず覗く癖がある。
その土地の風土や歴史なんて言うとかなり大げさすぎるけれど、
そこにしかない何かを感じられるような気がするからだ。
この日は、店内をぐるりと1周した後、小さな籠を手に2周目に突入した。
自分好みの未完成の味をひとつ、またひとつ、籠に入れていく。
箱買いだって、大人買いだってしようと思えば簡単にできてしまえるのに、
とそんなことも思いながら棒付きの可愛らしいキャンディーを籠に入れた。
そう言えば、随分と遠い記憶の中に今でも残る女性がいる。
その女性は「本当は一か所にジッとしていたいの。」そう言った私に、
「本心ではそう思っていないからあなたは一か所にジッとしていないのだと思うわよ」と笑顔で言った。
彼女は、カラフルでレトロ感漂うお菓子が量り売りされている、
日本で言う駄菓子屋さんのようなところの女店主。
しばらく滞在していたその土地に住む人たちは、
彼女のことを「優しい人よ」「話しやすい人よ」と言っていたけれど、
私はあの笑みの奥に感じる鋭さのようなものに少しだけ緊張していた。
もちろん、優しい人、気さくな人であったことは確かなのだけれど。
今思えば、未熟な自分の何倍もの人生経験のある彼女を前に
全てを見透かされているような気がして落ち着かなかっただけなのかもしれない。
そのような事を思い出しながらラムネを手にしてドキリとした。
あの時、あの女店主が「あなたは色々な土地に住むんじゃないかしらね、本心が変わらなければ」と言ったことを。
話し半分に聞き流したものだから今の今まですっかり忘れていたけれど、
私の人生、ここまではそのような流れである。
そして、看板は出していないけれど占術に長けていると言われていたことも思い出した。
あれが占いというものであったのならば当たっていると言えばそうとも言えるのだけれども、
彼女は「本心」という言葉を使って既に種明かしをしてくれていたように思う。
引越作業が面倒でジッとしていたいというのは本音だけれども、
新しい行き先が決まった傍から次の場所にワクワクするあのキモチが、
彼女の言う私の本心というものなのだろう。
長い時間をかけて届いたメッセージに、人生は自分で創るものとはよく言ったものだと思った。
そして、ものごとに対する自分の本音と本心は同じであるとは限らないようだ。
私は、青い瓶に入ったラムネを籠に入れ、
その隣に並ぶピンク色の瓶のラムネも籠に入れた。
その一連の様子を隣でじーっと見ていた小さな男の子に「だって、私は大人だから」と心の中で呟いて。