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幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

孫の手の正体は「孫」ではないのです。誰の手だと思いますか?

お伽話や神話 オトナの知識 読書気分で要点だけをつまみ食い

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電車移動をしていたときのこと。

何をするでもなく、飽きもせず、

ただボーっと通路を挟んで乗客の肩越しに流れる景色を見ていた。

どれくらいの時間が経ったのだろうか、びっしと埋まっていた座席に空席が目立つようになった。

そのようなことを思っていると、

目の前のご老人が大きめの鞄の中から何やら棒らしきものを引き抜いた。

そして、物差しのようにも見えるそれを握り直し、

上着の襟を引き抜くようにして、その物差し状のものを背中に差し込んだ。

「(あ……孫の手か)」

痒いところに手が届く、あの孫の手だった。

久しぶりに目にした孫の手と、何処ぞやのお宅のお茶の間にお邪魔してしまったかのような脱力感に、

私は平和な午後のひとときを感じていた。

 

私、「孫の手」の本来の姿を知るあの日までは、

「孫の手」と聞けば、お爺ちゃんやお婆ちゃんが手の届かぬ背中を

小さな孫に掻いてもらっているような風景を想像し、

そのような風景が「孫の手」の由来なのだと思っておりました。

しかし、本来はそのような風景は存在しなかったのでございます。

本日のお話コードは「孫の手」。

お時間ありましたら、お好きなお飲みもの片手に、のんびりとお付き合い下さいませ。

 

私たちが知る孫の手は、

物差しのような木製の棒の先が子どもの小さな手の指のように加工されているかと思います。

あの緩やかなカーブが、痒い所を優しく掻いてくれますし、

中には棒の反対側にゴム製の小さなゴルフボールのようなものが付いていて、

肩凝り解消にもひと役買ってくれるものまであり、地味だけれども頼りになる優れものです。

その形状から、孫の小さな手をイメージして作られたのでは?と推測してしまうのですが、

「孫の手」は本来、「麻姑の手」と書かれていたのだそう。

 

では、麻姑とは誰なの?誰の手なの?と思われる方が出てくるかと思います。

麻姑とは中国に伝わる伝説に登場する女性の神仙(仙人)のことで、

このストーリー内では、「孫の手」のことを「爪杖」と書いておりました。

「神仙」に「爪の杖」など、魔法でも発動してしまいそうなワードが並んでおりますが、

ストーリーはこうでございます。

 

あるとき、王遠という名の神仙が、蔡経という者の家に降臨しました。

王遠は、蔡経の家の者と顔を合わせていたそうなのですけれど、

「せっかく、ここに降臨しているのだから、久しぶりに麻姑にも会いたい。」

というようなことを言い出し、使者を使って女神仙である麻姑を呼び寄せたのだそう。

しばらくすると、歳の頃は十代後半の、若くて美しい女性、麻姑が蔡経の家にやってきます。

麻姑は鳥の様に長い爪をしていたらしいのですが、

その麻姑の爪を見た蔡経は彼女が神仙であることを忘れ、

「鳥のように長い爪だなぁ。この爪で痒いところを掻いてもらったら、とても気持ちいいだろうなぁ。」

などと思ったのだそう。

蔡経は、この心の声を王遠に見抜かれてしまい「麻姑は神仙であるぞ」と𠮟られます。

このようなストーリーから、

「麻姑の手」はかゆいところに手が届くことを表す「麻姑掻痒(まこそうよう)」となり、

後にこれが、物事が思いどおりになることを表す言葉となりました。

 

このストーリーからも分かるように、

私たちが知る「孫の手」は、子どもの可愛らしい小さな手ではなく、

本来は、「麻姑の手(爪)」、美しい女性の手なのです。

伝え継がれている古のストーリーは「清く、正しく、美しく」のようなものも多いけれど、

このようなストーリーに触れますと、

いつの時代の人も思い浮かべてしまう内容に大差はないのだろうと思い、

先人たちがグッと身近に感じられることがあります。

 

私は、このストーリーを知ってから少しだけ「孫の手」から浮かぶイメージが変わったのですが、

皆さんはいかがでしょうか。

「孫の手」を目にする機会がありましたら、

今回のお話をチラリと思いだしていただけましたら幸いです。

画像出典:https://jp.pinterest.com/