電車移動中の手持ち無沙汰を紛らわすために鞄の中から本を取り出した。
どこまで目を通していたかしらと本を開くや否や、瞬きを数回繰り返した。
慌てて家を出たからだろう。
思っていた本ではない本を鞄にいれてきてしまっていた。
その時の気分とは随分と違う内容だったけれど、その推理ものの頁を捲ることにした。
本の中では知能犯が巧妙な手口を使い、
自らの手を汚すことなく犯罪を重ねていたのだけれど
開いた頁は、何度目かの犯罪現場に刑事たちが到着した場面だった。
犯罪現場と言えば指紋も重要な手がかりのひとつだけれども、
指紋本来のお役目は、とても実用的なもの。
例えば、私たちが物を掴むことができるのは、
指紋によって起こる摩擦が滑り止めの役割を果たしてくれているというのも理由のひとつ。
私たちの指紋は胎児の頃には出来上がっているため、
言葉を話すよりも前に物を掴むことができるようになっている。
学生の頃に少し変わり者の理科の先生がおり、
その先生のもとで指紋に関する実験をいくつか行った記憶がある。
教科書には載っていない内容は当時の私たちを普段よりも少しだけワクワクさせた。
その中に、指紋が無くなった状態を作り物を掴んでみるという実験があったのだけれども、
これが想像していた以上に難しく、
何気ない動作が出来るのも指紋のおかげなのだ、と感じたことを思い出した。
更に指紋には、触れたものの違いを感知することができるよう、
たくさんの神経が集中しているのだという。
紙が1枚なのか2枚なのか、何となくその違いに気付くことが出来るのも
指紋あってこそということのようだった。
そして、この指紋。
年齢を重ねていくと薄くなってしまうなどと耳にすることがあるけれど、
指紋は皮膚の表面ではなく、皮膚の奥から出来ているものなので、
日々の生活の中で擦れて薄くなったとしても、
細胞が生きている限りは浮かび上がってくるように出来ており、
この模様は命尽きるまで変化する事はないのだそう。
姿形が全く同じ人はいないけれど人は指紋までもが、
世界に一つだけ、自分だけのものということらしい。
何を話しているのかよく聞き取れない変わり者の理科の先生は、
そのような内容のことをボソボソとした口調で話していたのだけれど、
授業を締めくくるかのように少しだけハッキリとした口調で、
「だから、自分のことは大切にして欲しいと思います。」と言った。
どういう訳だか、この言葉だけは何となく今も頭の片隅に残っている。
そして、あの時の先生が本当に伝えたかったことが何だったのか、
今なら理解できるような気がしている。
「ありふれた人」が居ると言うのならば自分がそう思い込んでいるだけで、
本来、「ありふれた人」というのは存在しない、のかもしれない。
頁を捲らずに、そのような事に思いを巡らせていると、
あっという間に目的地に到着した。
私の匙加減一つだとは言え、
その日もまた覗きかけの事件は解決しないままバッグの奥へと再び沈んだ。