外出先で和菓子屋の前を通りかかったら水無月の文字が目に飛び込んで来た。
今年も半分のところに差し掛かるのかと
今年もまた、そのようなことが頭の中を過ぎった。
日本には四季だけでなく、
季節の移り変わりを事細かに分けて感じられるきっかけがたくさんあるおかげで、
何度も何度も自分を奮い立たせることができるような気がしている。
年明け早々、ついていない事があったとしても、
節分の豆まきで心機一転、ひな祭りを楽しんで気持ち新たに再スタート、
小満の時季になれば草木の生命力を感じながら私も、という具合に。
気に留めなくても日常を大切にすることは出来るし、
気に留めたからと言って暮らしそのものが大きく変わることも無いのだけれど、
私は、様々なことを感じてみたいのだと思う。
そして、感じているうちに、いつの間にか、
それらのモノゴトにほんの少し、暮らしを豊かにしてもらっているような気がしている。
そのようなことを思いつつ、30日にはまだ少し時間があるけれど、
私は和菓子の水無月を買って帰ることにした。
和菓子の水無月にもストーリーがあるけれど、
6月の和風月名である水無月にもいくつかのストーリーがある。
6月と言えば梅雨がきて、夏が始まり、田んぼに水をひく季節。
何かと水とのご縁がありそうだというのに、水が無い月と書き記す。
初めて和風月名を知ったときに感じた違和感を放置できずに、口に出したことがあった。
すると、クラスで物知り博士と言われていた切れ者の男の子が、このような話をしてくれた。
水無月の「無」という字は、今で言う「の」と同じ使い方をすることがあったのだそう。
だから、「水の無い月」と書き記しているけれど、
暗号を解くと水無月=水の月という意味だから6月の梅雨の時期に相応しいのだと。
今思えば、ここで「暗号」という言葉を使ったのは、彼の演出だったような気がしている。
その演出に軽々とテンションを上げられた私は、
ちょっとした名探偵気分で話を聴いていたのだから。
他にも大勢で協力して田植えをしていたことから
「皆が尽くす月」という意味で「皆尽月」や、
田んぼに水を張る様子から「水張り月」と呼ばれており、
後に「みなづき」と呼ぶようになったなど。
いくつかの説があると言っていた。
本当は、もっとたくさんの説を楽しく話してくれたのだけれど、
いかんせん、年月が経ちすぎていることもあり、
私の記憶に残っているのはこれらの説だけだ。
博士、元気にしているだろうか。
そのようなことを思いながら邪気祓いの水無月を味わった。
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