梅雨入りする少し前のことなのだけれども、何かひとつ、梅雨のエピソードを聞かせていただけませんか。
そのようなご要望を受けてふと思ったことがある。
いつからだろう、雨がしとしとと降り続き、太陽を恋しく思うような梅雨がなくなったのは、と。
地球の照明が少しだけ落とされたような中で、雨粒が弾けながら奏でる雨音。
もちろん、梅雨ならではの不便を感じることもあったけれど、嫌いではなかったのだ。
あの優しくて少しばかりの儚さを含んだ梅雨の雨音。
眠れない夜は、ただただ雨音を耳で拾っているだけで不思議と気持ちが落ち着くようなこともあった。
だけれども、もう随分と長い間、あのような雨音を耳にしていないような気がする。
最近の梅雨と言えば、しとしとと優しい雨が降り続くというよりは、短期集中型のゲリラ豪雨。
雨までも要領よく降るようになってしまったのだろうか、と思う。
地球も生き物。
天候の変化は、それだけ地球環境が変化しているということでもあるのだろう。
少し前の梅雨の景色に思いを馳せつつ、大きめの傘を握り直して建物の外へと向かった。
やれやれ、ゲリラ豪雨、ここに在り。
ぶつぶつと心の中でひとり言を言いつつ空を仰いだ。
大粒の雨がひっきりなしに地面を叩きつけている。
あ、もしかしたら「もっと大事にしてよ」そのような地球からのメッセージだったりして。
思考が飛躍しそうになる自分を遮るべく傘をシュッと開いた。
歩き出そうとしたとき、斜め後ろの視界にビルの軒下に立つご年配の女性が入った。
「どちらまでですか?」思わず発していた。
「横断歩道を渡って駅へ行きたいけれど、この雨で」と彼女。
私も駅へ向かうところだったため、横断歩道をご一緒することにした。
傘を強く叩く雨のせいもあり、傘の中では自然とお互いに声が大きくなっていた。
私たちは、転ばないように、一歩一歩を踏みしめるようにして進んだ。
無事に横断歩道を渡り終えると女性はお礼の言葉と共に、このようなことを言った。
「相合い傘なんて久しぶりだったわ、ありがとう」と。
ゲリラ豪雨の激しさを和らげるような「相合い傘」という言葉に、私は普段よりも口元が緩み、
何となくだけれど、「今、わたし、いい笑顔(かお)してる」と思った。
梅雨の雨は変わりつつあるようだけれども、人を笑顔にする人の温かみは今も昔も変わらないのだな、と思った。
ステキな女性と引き合わせてうれたゲリラ豪雨、そう悪いものでもない、と言いたいところだけど、
やはり私は、しとしとと優しく降り続く梅雨の雨音が恋しいようだ。