デザートと一緒に出していただいた日本茶。
あの爽やかな色と湯気に溶け込むほろ苦さを含んだ茶葉の香りに
心身がゆるゆると解きほぐされていくような感覚になった。
ゴクリとひとくち口に含めば、冷房で程よく冷えた体に、
じんわりと染み入る温かさが心地よい。
両方の手の平で包み込むようにして握っていた素敵な湯のみを
テーブルに置いたときにふと思った。
どうして湯飲みには取っ手がないのだろうか、と。
もちろん、取っ手が付いたタイプの湯のみも見かけることはあるのだけれど、
それは、アイデア商品という枠の中にある、
もうひとつの湯のみのスタイルであって、主流と呼ぶには少し違うような気がするのだ。
そのようなことを雑談に交えて女将さんに漏らすと、
このようなお話しを聞くことができた。
湯のみに取っ手がないのは、
日本茶は熱すぎないものの方が美味しく感じられる飲み物で、
その温度の目安が、人が湯のみに素手で触れることができるくらいの温度ということもあり、
お茶の温度を手で感じ取ることができるように取っ手がないのだとか。
仮に、湯のみにティーカップやコーヒーカップのように取っ手が付いていたとしたら。
飲み物の温度を手で感じることができないため、
熱い飲み物をそのまま口にしてしまい
口の中を火傷してしまうようなこともあるでしょう、と。
このようなことなく、日本茶を美味しく召し上がっていただくために、
飲む人が自分の肌で飲み頃を判断できるようにという気配りも含まれているのだそう。
更に、女将さんは続けた。
湯のみが、奈良時代から平安時代にかけて、
お茶とともに日本に伝わってきたことも関係しているようだと。
茶道には、茶器を五感で愛でるお作法があるけれど、
湯のみの手触りも滑らかなものもあれば、ゴツゴツとしたもの、
ザラザラとした触感に仕上げられているものなど湯のみによって異なる。
この、職人の技や想いが込められた表情ゆたかな質感を
手の平からも感じられるよう、取っ手は付けられていないのだとか。
たかが「取っ手」、されど「取っ手」。
何でも自由に選び取ることができる私たちの立場からみると、
つい便利さを追求してしまうこともあるのだけれど、
ちょっとした不便さの中に「粋」が隠されているのかもしれない。
取っ手のないお湯のみで日本茶を召し上がる際には、
今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。
今日も美味しいティータイムをお過ごしくださいませ。