幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

最後のワインと目ヂカラに怯んだあの日。

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お料理などを取り分けていて最後に少しだけ余った分をどうするか、

誰のお更に乗せるかなど、ちょっと気になることはないだろうか。

春先だっただろうか。

10年振りくらいに顔を合わせた方々とワインをいただいた。

その時に向かいの席の方のグラスに

ボトルに残った最後のワインが注がれているのを目にして思い出した。

 

日本であれば、「どうぞ、どうぞ」なんて言い合いながら遠慮し合う、

というような光景が多いような気がするのだけれど、

このようなシチュエーションでの対応も国によって異なったりする。

当時、私はフランス滞在中にお世話になっている方々とテーブルを囲んでいた。

お水を注文するよりもお酒を注文した方が安い国というだけあって、

皆のグラスが瞬く間に空いていくように感じていた。

そして、ボトルの残りが少なくなると、

最後のワインは誰のグラスに注ぐ?と誰かが言い出すのだ。

それに対して、私にちょうだい。

私だって欲しいわ。

僕は要らない。

私も要らないわ。

このように全員が話を中断させて律儀に返答していたのだ。

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その場は、フランス語と英語を使った会話が行われていたのだけれど、

苦手なフランス語部分の大半を聞き流していた私は

そのやり取りの本当の意味を知らずにいた。

そして、日本人らしいと言って良いのかは分からないけれど、

「最後のワイン、柊希は?」と言われた時には、

「私は結構です、どなたかどうぞ」「どなたか、お先にどうぞ」といったような返事を繰り返していた。

内心、「(そんなこと、毎回確認せずにグラスの残量を見て注げばいいのに)」などと思いながら。

 

すると、どのような場にも一人はいるのだ。

ものすごく空気が読める人、いや、観察眼と推察に長けた人が。

「柊希は、このやり取りの意味を知ってる?」と尋ねてきた。

聞き流していた部分に関係があったのかしら?と少々ハラハラもしたのだけれど、

腹をくくって、「知らない」「分からない」と答えた。

すると、ある方がとても分かりやすい英語でフランスに古くからある言い伝えを教えてくれた。

 

まず、皆のグラスにワインを注いでいて、残りが少なくなってきたら、

その場にいる皆が「ワインの最後の一滴を誰のグラスに注ぐか」ということを気にするのだと。

これは、「La dernière Goutte(ラ・デルニエ グットゥ)」と呼ばれる言い伝えで、

日本語で言うと「最後の一滴」という意味の言葉になる。

この言い伝えは、最後の一滴をグラスに注がれた人は、

独身者であれば「年内に結婚する」、

既婚者であれば「年内に子どもを授かる」といわれているのだそう。

だから、大勢で食事をするときには、このような言い伝えを楽しむこともお約束なのだとか。

ただ、最後の一滴は誰もが欲しかるもの、とも限らないようでリアクションも様々なのだそう。

恋人同士が同席している場で、

片方は最後の一滴を欲し、片方は最後の一滴を遠慮する。

というようなことも稀に起こるのだとか。

私はこの話を聞き、「La dernière Goutte(ラ・デルニエ グットゥ)」は、

楽しいパーティーの中に忍ばされた、ちょっとしたスリリングな時間帯だと思うのと同時に、

「最後の一滴」という銘柄のワインがこの言い伝えと共に日本の市場に登場したら、

婚活パーティーなどで人気のお酒になるのでは?と思った。

そのようなことを思っていると、

その場にいる皆の熱い眼差しと共に「改めて、柊希は最後の一滴、いる?」と尋ねられた。

彼らの目力に魔術的なイメージを膨らませてしまった私は、

「私は結構です、どなたかお先にどうぞ」と答えるのだった。

ワインを召し上がる機会がありました際には、

「La dernière Goutte(ラ・デルニエ グットゥ)」を思い出していただけましたら幸いです。

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