災い。
時代が変わろうとも、国が異なろうとも、
誰もが出来るだけ遭遇したくないと思うもののひとつでございます。
日本では災厄除け、邪気祓い、そのような言葉のもと、
より穏やかに、より楽しく暮らせるよう、普段の自分を省みる機会が用意されております。
そして、小さな災いは、時に自分に対しての戒めのようなものでもあり、
「この程度のことで済んで良かった、次に生かそう」と思えたのなら、
もしかしたら、それは、「災い」とは呼ばないのかもしれません。
どうして、このようなお話なのかと申しますと、
最近の出来事なのですが、ある日のワタクシに、
次から次へと災いが降りかかってきたのでございます。
あるはずの物が忽然と姿を消し、
キッチンで洗い物をしておりましたら、
うっかり手を滑らせてお気に入りのマグカップを割ってしまい、
気を取り直して小物の整理でもと思いまして帯留めのお手入れをしていましたら、
再び手が滑って、お気に入りの金魚の帯留めが無残な姿と化しました。
普段は、このようなことがあっても割れるようなことは無いのですが、
今日はついていない……、
そう思いながらもワタクシの相棒であるパソコンと向き合ったのでございます。
起動したパソコンを前に、デスクに置いてあるグラスに手を伸ばしたところ、
グラスの中身をパソコンに全てぶちまけてしまうという災いが……。
慌ててタオルやティッシュやらを総動員して相棒の救出に専念しました。
ヘリにこそ乗りはしないものの、気分は救命救急医でございます。
相棒の、とりあえずの無事を確認し、自分へと目を向けましたら、
パソコンから流れ落ちてデスクに広がったグラスの中身を咄嗟に体で受け止めていたようで、
ワタクシ、びしょ濡れでございました。
脳内では、注意力低下中という言葉がテロップで流れ、
いい大人が、シンと静まり返った部屋でやれやれな午前中です。
こんな日もある。
ついていない日があるからこそ感じられる穏やかな日常。
気持ちがざわつく日も、ちょっぴり上手くいかない日も、きっと大切な日。
ついていない日も口角をキュッとあげてまいりましょうね。
今日はきっと大丈夫、明日はきっと大丈夫、次はきっと大丈夫。
今日も、ここへ足を運んでくださった皆さんに良き風がふわり、吹きますように☆彡
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