その日は、窓から入る風が気持ちよくて、家中の窓を豪快に開け放っていた。
すると、アナウンスの開始を知らせる「ピンポンパンポーン」という
お馴染みの上りチャイム音が聞こえてきた。
我が家の近くには小学校があるのだけれど、
その小学校から聞こえる四季折々のアナウンスは、
余裕を無くしかけている私の気持ちを和らげてくれることがある。
その表れだろうか。待ち焦がれているわけではないけれど、
アナウンスの開始を知らせるチャイム音を耳にすると一瞬だけ、背筋がすーっと伸びるのだ。
ただ、この日のチャイムは様子がおかしかった。
最後の「ポーン」の音が、えっ?と、窓の外へ視線を泳がせてしまうほど外れていたのだ。
何ごともなかったかのように、話を始める先生らしき人の声。
私は聞き取る必要はないのだけれど、
外れた音に若干ニヤニヤしながらパソコンのキーボードを叩くのを止めて聴き入った。
この日のお話コードは「風」だったようで、
「台風」は英語のタイフーンに漢字を当てはめてできた言葉で、
日本では台風のことを「野分(のわき)」と呼んでいたことがある。
といった話の所々が耳に届いた。
風の表情が豊かだと感じる日がある。
そのような時、この風の表情や景色を、
どのような言葉で切り取ろうかと思考を巡らせるのだけれども、
既に先人たちの感性によって、
それに馴染む言葉が残されていることに驚くことがある。
しかも、その言葉の多くが、作家や詩人のような方々が残したもののはなく
日本中の人々から自然と生まれ、共有され、広がり、残ったものなのだから、
自然の豊かさや、先人たちの豊かさの域には
そう簡単には辿りつけないような気さえしてしまう。
小学校の先生の話に登場した野分(のわき)は、
野に生えている草木の間を豪快に書き分けて進んでいく、力強い風のことであり、
今で言う台風(英:タイフーン)と同等の意味を持っている。
同じものを表しているのだけれど、
野分(のわき)の方が表情豊かな風のように感じるのは、私が日本語贔屓だからだろうか。
そのようなことを思っていると、アナウンス終了を知らせる下りチャイム音が聞こえてきた。
こちらも上りチャイム音と同様に最後の音だけが大きく外れおり、思わず吹き出してしまった。
あれから、しばらく経つけれどチャイムの音は外れたまま。
そして、いつの間にか、その外れた音に愛着を感じている私がいる。
風が心地よい季節になりました。
今日吹く風は今日だけの風。
風の音、風の匂い、風の色、風の音、今日だけの表情に触れてみてはいかがでしょうか。
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