雨は嫌いではないのだけれど、外出するとなると少々話が変わってくる。
その日は、雨を押してでも外出しなければいけない時用にと準備してある、
お気に入りのレインブーツに足を入れ、玄関ドアを押し開けた。
雨の日にだけ使うことができるアイテムに気分が上がった私の足取りは心なしか軽やかで、
冷たい風に全身の毛穴が一瞬にしてキュッと引き締まる感覚は、
昨年の今頃のたゆたう記憶を少しずつ鮮明にしていくようでもあった。
最初の横断歩道で傘越しに雨粒を眺めていると、横に並んだ女の子たちの会話が耳に届いた。
日頃の行いに問題があるから雨が降ったんじゃないの、
そのような事を言いながら楽しそうに笑っていた。
そうそう、日本には古から日頃の行いの良し悪しと、
お天気をはじめとする様々なモノゴトを結びつける風習があり、
背筋をスッと伸ばし、襟を正すような慣用句や、ことわざも多い。
聞き慣れているからこそ、彼女たちの様に笑い飛ばせたりもするのだけれど、
これを初めて聞く外国の方々の反応の中には、「日本人って本当に真面目なのね」、
「ユーモアが足りていないわ」というようなものもあった。
どちらが良い悪いではなく、そのような歴史を歩んできた国で、
その国に生まれ育っただけなのだけれども、と思いつつも、
そうスラスラと返すことができるだけの語学力を持ち合わせていなかった私は、
上手く切り返すことができず、歯痒い思いも随分と経験したように思う。
歯痒い思いをしたから記憶に残っているのだろうけれど、
知人たちと一緒にいた時に、突然雨が降り出したことがあった。
すると、彼らが口々に「どこかで音痴が歌ってるわね」、「歌ってるね」などと言ったのだ。
フランスでは「音痴が歌うと雨が降る」、「音痴だと、雨が降る」という迷信があるのだそう。
だから、雨が降り出せば「どこかで音痴が歌ってる」と言ったり、
歌が上手ではない人と約束を交わすときなどには
茶目っ気を含ませて「雨を運んでこないでね」などと言うのだそう。
私には、日本で言う「雨男」、「雨女」のような意味合いに近いような使われ方をされているように感じたフランスの雨にまつわる迷信のひとつだ。
久しぶりに思い出したけれど、どこかで音痴なフランス人が歌っているのだろうか。
そのようなことを思い出しながら横断歩道を渡った。
もし、あなたの大切な日に雨が降ったなら、
私の日頃の行いが悪かったのかしら……と思わずに、
どこかで音痴なフランス人が陽気に歌でも歌っているのね、
そう思って笑顔で過ごすのはいかがでしょう。
雨の日も、ちょっぴりついていない日も、
自分にかける小さな魔法でココロの中は晴れの日に変えられる気がいたします。
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