玄関ドアを開けた。
ギリギリセーフかしら。
そう思ったものだから、肌寒さを感じたような気がしたのだけれど、
セーフだ!と自分で自分の背中を押して家を出た。
“大丈夫!”ではなく“セーフか否か”というレベルで判断しようとしている時点でアウトじゃないか、と
エントランスを出たところで冷たい風に下からぶわっと煽られながら思った。
すぐそこまでだから大丈夫、大丈夫。
もう、ここからは自分を騙し騙し行くしかない。
こういうところは、大人になっても変わらないのだろう。
くるぶし辺りから全身を駆け巡るようにして出た鳥肌に我に返って笑ってしまった。
そして、どうして鳥肌は顔に出ないのだろうか、とふと思う。
“寒くなんかない”と、思いっきり痩せ我慢しながら頭の中では「どうして?」が乱舞していた。
「どうして?」が乱舞する中、今度は、
少し前に暇つぶしに試したロールシャッハ・テストの結果に書かれていた、
『あなたは、「どうして」と答えを知りたくて仕方がない人』という文言を思い出し、
ココロの中で、ロールシャッハ・テストに二度目の「お見事!」を発した。
※ロールシャッハ・テストのお話は機会がありましたら、また改めて。
用事を済ませ、暖められた部屋に戻ると、
体の芯から溶けていくような感覚と共に、体がじんわりと熱を取り戻しはじめた。
鳥肌はすっかり消えてしまっていたけれど、顔と鳥肌の件を覗いてみることにした。
鳥肌は、毛の根元辺りにある筋肉が収縮し、
普段は皮膚表面に寝かせられるようにして生えているはずの毛が
ピンッと皮膚表面に対して垂直に起きるのと同時に皮膚を引っ張り上げるため、
急に肌表面にデコボコができたようになった状態のこと。
状況さえ整えば、いとも簡単に現れる鳥肌は、実は顔にもしっかりとたっているのだとか。
ただ、顔以外の皮膚に生えている毛の根元にある筋肉と比べると、
顔の毛の根元にある筋肉は退化しており、
鳥肌が立っていたとしても体中に出る鳥肌のような悪目立はしないのだそう。
また常に外気にさらされている顔の皮膚は風の冷たさなどに慣れている上に、
血の巡りが良いことも幸いしているという。
筋肉が退化していると聞くと複雑な気分になるけれど、
寒さや感動、その他、何かを感じるたびに顔に鳥肌が立つことを想像すると、
退化したままでも結構だ、と思った。
進化も退化も良くできている。
すっかり温まり、どうして?が治まったところで腕まくりをしながらキッチンに立った。