年末が近づくと友人たちから、今どこに居るの?と連絡が入る。
声を揃えるようにして年賀状の宛名の確認だという。
「今年も送ってくれるのね、ありがとう。」という気持ちと、
「あぁ、私はまだ何も手を付けていない」という焦りと、
引っ越しをしても住所変更のお知らせを出さない私の性格を知っていて、
わざわざ確認してくれることへの感謝の気持ちと罪悪感が入り乱れる中、
私のいつもの12月が始まった。
その連絡をくれた友人の一人が、年末の大掃除をしていたら、
随分と前に私と行った博物館でもらった資料が出てきて懐かしかったと言った。
どこの博物館だったかな。
そう思っていると「寄生虫博物館になんて行くのは私たちくらいだよね」と友人は続けた。
時を遡って数えることを躊躇ってしまうくらい遠い日の出来事ですっかり忘れていたけれど、
その友人がどうしても行きたいから一緒に行ってほしいと言って一歩も引かず、
私の心許ない無いゲートで東京都内にある目黒寄生虫館へ行ったのだ。
寄生虫、全てが危険な生物というわけではないけれど、
安全だというわけでもないところが自然の厳しさや現実でもある。
そして、寄生虫が居るからこそ地球上の生態系が保たれており、
私たちもこうして生きていられるということは重々理解してはいたものの、
気持ちよく眺められるビジュアルではないと思っていた私は返事を濁していた。
友人は、その生態や世の中との繋がりが面白いと言って
かなりの量の書籍を読み込んでおり、
私にも半ば強引に、押し付けるようにして数冊の本を貸してくれた。
初めは、寄生虫館へのお誘いを断っていた私も
その本を読むうちに、寄生虫が人を虜にする理由の欠片が見つけられそうな気がして、
こんな機会でもなければ一生行くことはないかもしれないのだからと、博物館行きを承諾した。
当時の寄生虫館は、今のように立派な建物ではなかった。
古びた理科室に毛が生えたような場所で、そこには、たくさんのソレが展示されていた。
大興奮の友人は、館長さんだったのだろうか、スタッフの方だったのだろうか、
館員の方に随分とマニアックな質問をしており、終始ご満悦だった。
ただ、そのやり取りの内容はとても興味深いもので、
その日の帰り道、私は寄生虫に関する本を数冊購入したことを、これを書きながら思い出した。
引っ越しを繰り返す中で、それらの本は手放してしまったけれど、
寄生虫という世界からもカテゴリーを問わず、たくさんの扉を開いてもらったように思う。
頭の中も記憶の大掃除をしているのだろうか。
一年を締めくくる月は、様々なことを思い出すようだ。
友人に、そう言えば、あの博物館。今はとてもきれいな建物で、オリジナルグッズもあり、それはオンラインショップでも購入できみたいだと話すと、
久しぶりに寄生虫熱に火が点いたようだった。
相変わらずで何より、そう思ったある日のやりとり。
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