その日は、前日の凍るような寒さとは打って変わって“冬の日”と言うには暖かい日だった。
換気のために開けた窓から入る風は心地よく、しばらくの間、窓を開け放っておくことにした。
寒さが和らぐと、知らぬ間に縮こまってしまっていた全身の毛穴が、
じんわりと開いていくように感じる。
もしかしたら、この何かから解放されていくような感覚は、
春を待ち侘びている植物たちが芽を出す瞬間の感覚や、
冬眠から目覚めるものたちの、その瞬間の感覚に似ていたりするのだろうか。
そのようなことを思いながらキッチンで、
フキノトウとハウス栽培ものであろうタラの芽の下処理を始めた。
以前、お仕事をご一緒した方の趣味が山菜採りだということで、
四季折々の山の様子と共に山菜のお話を聞く機会があった。
私は、山菜好きではあるものの、山菜採りをした経験は、ほぼ無いに等しかったこともあり、
その方が話してくださった山と山菜の様子は、とても興味深いものだった。
そのお話の中で、一番強く覚えているのはタラの木には性別があるということ。
そして、その性別は、実際に木を見ることがなく、
私の様にタラの芽を食べるだけであっても知ることができるということだった。
山に自生しているタラの木は、幹や枝の表面に棘がたくさんあるという。
山の中には似通った木もあるため、
まずは、この棘の有無によりタラの木であることを確信し、
棘が多いものは、男ダラ(オダラ/オンタラとも)と呼び、
棘の量が少ないものは女ダラ(メダラ)と呼び分けるのだそう。
そして、年末年始辺りから春を先取りするかのようにスーパーや飲食店などで見かける
タラの芽はハウス栽培ものなのだけれど、そのほとんどが女ダラ(メダラ)なのだそう。
この棘は、摘み取られたタラの芽の柔らかい幹の部分にも現れるため、
購入したタラの芽の根元を見て棘のようなものがあれば
天然ものの男ダラ(オダラ/オンタラとも)、
棘が無いものや、棘だと気付かないような状態のものであれば、
ほぼハウス栽培の女ダラ(メダラ)だと判断できるのだそう。
そのことを知ってからは、何となくタラの芽の下処理をしながら棘探しをしてしまうけれど、
私が簡単に手に入れられるタラの芽は、ハウス栽培されたものが多いようだ。
ハウス栽培のものも美味しくて十分に春を感じられるため、
天然物を必要以上に追い求めたりはしないけれど、
ある小料理屋のカウンターに出してあったタラの芽が、
明らかに棘だと言えるような棘をワイルドに纏っていたことがあった。
聞けば天然物だということで、魚にしても山菜にしても自然の厳しさを生き抜いたものには、
凛々しさのようなものが表れるのだと思った。
口にしてみると、その苦味にはパンチと深みがあり、
この苦味であれば、山にいる者たちや私たちの体にある、
冬の間に切っていた春スイッチを確実にオンにしてくれるだろうとも感じた。
「春には苦みを盛れ」という言葉もあります。
春の山菜を始めとする春野菜を目にした際には、
美味しく召し上がりながら体の春スイッチを入れてみてはいかがでしょうか。
その日の我が家のタラの芽に、ワイルドな棘は見当たらなかったけれど、
小さな春スイッチを押してくれたに違いない。
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