今年はすっかり出すのが遅くなってしまった、と思いながら、
随分と古くなってきた箱の中から、お気に入りのウサギのひな人形を取り出した。
私は“ひな人形”というものに興味がない子どもだった。
祖父母や両親が贈ろうとしてくれている好意は頑なに拒否し続けた。
特段、拒否するような理由があったわけではないのだけれど、
強いて言うならば、持っていたいとは思わなかったことと、
私好みのお顔立ちのひな人形に出会えなかったことが理由だろうか。
ただ、子どもながらに好意を拒否し続けることに、うしろめたさを感じていたのかもしれない。
祖父母には日本人形は怖くて苦手だと、それなりともとれる優しい嘘をついた。
大人になり、ひな人形という年齢でもなくなったころ、
母は私に“ひな人形”を持たせなかったことを気にしていたのか、
素敵な古布で作られたウサギのひな人形を贈ってくれた。
その真意を確かめたことは無いのだけれど、
人形(ひとがた)ではなくウサギだったことから、
私は母にも優しい嘘をついたのかもしれないと、そのとき思った。
たくさんの、ぷっくりと膨らんだ蕾を付けた、買ってきたばかりの桜の枝木を花瓶に生け、
ウサギの細くて長い耳をピンピンッと指先で引き伸ばし、お着物を整え、
輪島塗の盆に敷いたミニ座布団の上に我が家の“ウサひな”を乗せた。
桃の節句に桃の花ではなく、桜の花を生けているのはいつからだろうと、ふと思う。
花屋に桃の花が無かったわけではないのだ。
単純に好みだと言えばそれまでなのだけれど、気付けば毎年、桜を選んでいるようだ。
こうして改めて見てみると、私のひな祭りスタイルは自分が思っていた以上に自由奔放。
誰かに見せるためのものはないのだから、まぁいいかと思うがままに準備をすすめた。
着物や和小物が好きなのに、ひな人形には興味がないなんて、と言われたことがあったけれど、
着物や和小物が好きだからと言って、ひな人形に興味があるとは限らない。
桃の節句だからと言って桃の花を飾らなくてはいけないということもない。
皆が持っているからといって自分も同じものを持たなくてはいけないというようなことも然り。
人はそれぞれ、欲しいものも幸せだと感じる事柄も違う。
血縁者同士でも、価値観の全てが同じであるということはないのだから、
本人が幸せなら、それが正解なのだと思う。
さて、今年の春を祝うひな祭りメニューは何にしようかしら。
私の場合、ただ、美味しいものを楽しく味わうための口実にしているだけ。
と言う方が正しいような気もするのだけれど、それでもいいのだ。
暮らしは、日々は、自分の心持ち次第で如何様にも楽しめるのだから。
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