マンションのエントランスを出ようとしたとき、後方から1人の少年が、私の横を疾風の如く走り抜けていった。
その少年を追うように聞こえた「行ってきます、は?」という母親らしき女性の声に
少し遠くから「いってきます」と少年の声が聞こえた。
そして、「いってらっしゃい」という女性の声と、
マンションの側にある信号機のメロディーが混ざりあって私の耳に届いた。
2人の間に挟まれたような立ち位置になってしまっていた私の存在に気付いた女性が、
「お騒がせしてごめんなさい」と顔を赤く染めながら言い、私の横を通り過ぎた。
日本には、言霊という言葉がある。
先人たちは言葉には霊力が宿ると考え、言葉を生み、そのひとつひとつを丁寧に扱ってきた。
古い和歌などに触れていると、日本のことを言霊の力が幸せを運んでくる国、
言霊の働きによって栄えていると詠んでいる歌などもある。
何も魔術めいた言葉が用意されているのではなく、
私たちが普段から使っている言葉にも、様々な思いや意味を込め、言霊にしていたのだ。
例えば、「いってきます」という言葉。
これは、どこへ出かけても、どこへ行ったとしても、必ずここに帰ってきますと言う意味が込められている。
だから、「いってきます」と発するということは、「必ず帰ってきます」と約束を交わしているともいえるのだ。
そして、「いってきます」と対になっている「いってらっしゃい」という言葉。
こちらは、「行く」と「いらっしゃい」という2つの言葉を融合させて、
「行って、そして、無事に帰ってきてください。帰ってくる。」という願いや祈り、
道しるべのような意味が込められている。
この「いってきます」と「いってらっしゃい」の言葉が語られるとき、
特攻隊の話を見聞きすることが多いように思う。
彼らは、「いってきます」という言葉を口にすることは許されなかったし、できなかったのだ。
そして、彼らが「いってきます」の代わりに発した言葉は「いきます」だ。
「いってきます」という言葉が願いや祈り、道しるべの顔を持っていることを知ると、
この違いの真意が見えてくる。
敢えて私が説明するまでもないのだけれど、
彼らが乗る戦闘機に積み込まれている燃料は片道分。
帰ってくることができないことは分かっていただろうし、
本心ではなかったとしても帰らないという決心もあっただろう。
彼らの視点で見ると、使いたくても使えなかった「いってきます」なのだ。
「いってきます」と「いってらっしゃい」。
何気ない挨拶だけれども、言い合う相手との言葉による約束でもあるし、
お守りでもあり、おまじないでもある言葉なのだ。
そして、ここまでの意味を含ませた言葉は英語には無い。
家族と、仲間と、大切な方々と交わす「いってきます」、
ペットと交わす「いってきます」、住んでいる家と交わす「いってきます」と、
様々な「いってきます」と「いってらっしゃい」があるけれど、
たまには、礼儀作法やコミュニケーションという視点からだけではなく、
言霊という視点を通して発してみるのも、良いのではないだろうか。
そして、喧嘩中でも「いってきます」と「いってらっしゃい」は是非、別腹でどうぞ。
皆さん、今日も元気にいってらっしゃいませ☆彡