身近なところでクラウドファンディングの簡易版のようなものの話題が出た。
クラウドファンディングは随分と身近なものになってきているのだと思った。
クラウドファンディングというのは、
自分の技術を生かした製品を作りたい、サービスを提供したい、
このような考えをもとにして世の中の問題を解決したい、
というようなアイデアやプロジェクトを考えている発案者が、
インターネット上にある専用サイトを通じて、アイデアやプロジェクトを世の中の人々に呼びかけ、
共感してくれた人から資金を集める方法のことだ。
資金を支援してくれた人に対しては、その見返り、お礼として、
品物やサービスなどが届けられる設定もあり、
資金を提供する側は全てに納得した上で発案者を支援するという仕組みだ。
これは、それなりに大きな金額が動くシステムだったけれど、
最近は、このシステムを使ったアプリなどが増えている。
こちらは、大金が動くクラウドファンディングと異なり、
友人間での送金や集金にも使うことができるシステムでフレンドファンディングと呼ばれており、
資金提供と言うよりは、募金、支援と言った表現が合うように思う。
ひと口当たりの募金額は300円からと少額で、集められる設定金額も低めに設定されている。
見返りやお礼のようなものは、活動内容の報告などに留まっていることから
見返りを求めない善意で成り立っているシステムだ。
家庭事情で修学旅行に参加できないという子に対して、
多くの人の善意が旅行資金となることもあるし、
何かイベントを行うための資金援助を募り、
見返りやお礼は、そのイベントの参加権というケースもあるのだそう。
また、このシステムはアプリで取得したリンクを知ってる人だけが支援できるため、
不特定多数の人に対して開示されるものではなく
仲間内で行うイベントにかかる費用の集金に使われたりもしているという。
相手のことを信用するか否か、その見極めは個人責任とのことだけれど、
国内には、様々な視点から様々なことを感じ考えさせられる、
多くの可能性を秘めた新しい経済圏が生まれているようだ。
私はクラウドファンディングもフレンドファンディングも未経験者ではあるのだけれど、
この様子を少し離れたところから眺めていて思うことがある。
お金の価値や、お金との関り方は変わりつつあり、何にどのような価値を感じるのかは、
個々の判断に委ねられる時代が来ているように思うし、
世の中の声や、溢れている情報に対して、ただ同調するのではなく、
自分の目で見て感じる、各々の様々な価値観を認め合っても回る世界へ進み始めたようにも見える。
これがこの先、更なる発展を見せるのか、足踏み状態になるのか、
何か新しいシステムのひな型になるのか、その辺りは分からないけれど、
今よりももっと、自分自身を持つことが鍵となるのかもしれない。
それにしても、いつの時代も、どのようなモノゴトにも
最初に始めた人がいるわけだけれども、その人の熱意と行動力には感服だ。
何かを起こすには強い思いだけでは始まらず、そこには必ず動きが必要となるのだから。
春の息吹に影響されたのだろうか。
色々と思考は巡るけれど、今日も私は、出来ることを、できることからひとつずつ。
特別なことをしなくても、各々が、やりたいことや、やるべきことを出来ている日々。
これだけでも十分じゃないか、と思いながら、キーボードを叩いている。