その日は、初めての経験にお誘いいただき、ウキウキ気分で電車に揺られていた。
待ち合わせ場所までの経路を再度確認するため、スマートフォンに視線を落としていると、
背後から女性の声で「コスパ」という言葉が度々耳に届いた。
一度だけ聞こえたのであれば、特別気になることも無かったのだけれど、
女性たちの楽しそうな声に乗って電車内に響く「コスパ」に、つい、耳が引っ張られてしまった。
彼女たちが使っていた「コスパ」という言葉は、
本来の言葉である「コストパフォーマンス」を略した「コスパ」だと思っていたのだけれど、
文脈にマッチしなかったため、私が知らない「コスパ」があるのかしらと興味がわき、
失礼を承知で背後から聞こえてくる会話をBGMにさせていただいていた。
すると、「コスパだったから2つ買ったよ。」「コスパなら私も買おうかな。」と聞こえてきた。
出入口付近で座席の背もたれに背中を預ける形で立っていたサラリーマンも、
その会話に興味を持っていたのか、
その瞬間、スマートフォンから視線を上げて「え?」という表情で女性たちの方を見た。
その後も、聞こえていた会話から彼女たちは、
「コスパ」を「プチプラ」という言葉と同じ意味で使っているのだと察しがついた。
「プチプラ」は、お値段が安いことを小さなお値段、プチプライスと表現し、
これを省略した形で世の中に定着した和製英語だ。
「安いもの」と言う表現から感じられることは様々で、人それぞれ。
しかし、商品を売り出す側から見れば
手塩にかけて作った商品を世に送り出す際に「安いもの」という冠がつけられれば、
品質や価値に対する印象にまで影響を与える疑いを懸念する。
そして、購入する側も、「安いもの」という冠よりも「プチプラ」という冠の方が、
商品から受ける印象が変わるのだろう。
「プチプラ」以外にも「高見え」というような言葉が定番化しているけれど、
このような双方の心理を上手く治めるために生まれた言葉のように思う。
そして、その日、しっくりこなかった「コスパ」。
もちろんダメだということではない、言葉は生きているのだから。
私の知り得ぬところで「コスパ」に「プチプラ」の意味が含まれ始めており、
品物のコストとパフォーマンスを比較してコスパが良かった、コスパが高かったから、
「コスパだったから2つ買ったよ。」「コスパなら私も買おうかな。」という表現になったのだろう、
と思ってみたりもする。
だけれども、良い悪い、高い低いと言った部分を丸ごと省略してしまっては、
コストパフォーマンスがどうだったのか、全く伝わらない言葉で、
今はまだ「コスパ=プチプラ」ではないと、私は思うのだ。
このようなことをグルグルと巡らせていたら、あっという間に待ち合わせの駅に到着した。
人も言葉も世の中に揉まれながら成長していくのかもしれない。