待ち合わせ場所である駅の改札前に少し早めに到着した。
いつもなら、付近のお店に立ち寄るところなのだけれど、
その日は行き交う人々を眺めながら待つことにした。
しばらくすると、学習塾の名前が入った、お揃い鞄を提げた子どもたちの集団が、塾の先生らしき青年と一緒にやってきた。
最近の塾の先生は、子どもたちを駅の改札まで送り届けなくてはいけないのかしら。
そのようなことを思いながら、改札から電車に乗る子、バス停へ向かう子、
自宅が徒歩圏内なのか迎えが来ているのか、駅構内を突っ切るようにして反対側の出入口へ向かう子たちを遠目に眺めた。
先生と子どもたちの間には、特別なコミュニケーションを取っている様子は一切なく、
各々が、どことなく疲れを身に纏っているようにも見える表情を浮かべていた。
そして、送り届けられる側と、送り届ける側のどちらもが相手の顔や目を見ることなく、
形式的なやり取りを交わしつつ、散らばっていった。
とてもドライな世界を垣間見てしまったような気がして、私は少しばかりドキリとした。
クラスごとに送り届けられていたのか、いくつかの集団を目にしたように思う。
そして気が付いたときには、その中の数名の子どもたちが私の横の空スペースに立っていた。
イマドキの子ども社会は、私の想像を超えてしまうくらい大変なのかもしれない。
1人は鞄の中から子ども用の栄養ドリンクを取り出し、
その場で小さな喉を鳴らしながら、大人顔負けの飲みっぷりで一気にドリンクを平らげた。
ドリンク少年の隣に立っていた子は、テキストを開き、ことわざを呟いていたのだけれど、
突然、少し大きな声で「言いたい事は明日言え」と言った。
私は、他のことわざを呟いていた声が聞こえていたこともあり、それがことわざだと直ぐに分かった。
しかし、そう発した“ことわざ少年”はドリンク少年に、周りにも聞こえるくらい大きな声で、
これを知らない大人が多いから炎上とかするんだよ、とため息交じりに言った。
その場に居た私を含む大人たち、
きっと、これからデートだ、飲み会だ、打ち上げだと心躍らせていた大人たちが、
ゆっくりと、しかし一斉にその少年に注目した。
確かに、失言がトラブルや炎上騒ぎに発展したニュースは至る所で生まれており、ごもっともだと思う。
しかし、その“ことわざ少年”の発言を耳にした私は、
「日本の未来は捨てたもんじゃない」と思うべきか、
「ある意味、末恐ろしい」と思うべきか、
「君のその発言も然り、だぞ」と心の中で呟くべきか、
正直、自分の感情をどこに着地させるべきか躊躇した。
きっと、あの場にいた見ず知らずの大人たち皆で共有した感情だったようにも思う。
その子たちがその場を去り、そこに居た大人たちも、それぞれの場所へと散り、
私も待ち合わせ人と目的地へ向かうため、その場を後にした。
その時に見たことを待ち合わせ人に話しながら、
感情や勢いに任せた失言によって大切な何かを失ってしまわぬよう、
「言いたい事は明日言え」を肝に銘じておこうと思った。
とても大きな満月が浮かぶ夜の出来事だ。