月見草と蝶々をあしらった、とても素敵な浴衣を見つけた。
横に並べられていた浴衣と比べると、一見、地味にも見えるのだけれども、
身に纏えば、その潔さと言いうべきか、引き算によって演出される粋な華やかさが目を惹く1枚のように思えた。
「素敵でしょ、マツヨイグサの柄は珍しいですよ」と店主らしき方に声をかけられた。
マツヨイグサ?月見草かと思いましたと答えた私に、彼は色々なことを話してくれた。
本日は、幸せのレシピ集の中にある小さな美術館を巡るような気分で、マツヨイグサから繋がる世界をご一緒に、いかがでしょうか。
マツヨイグサは、漢字で記すと「待宵草」。
これは、宵になるのを待って黄色い花を咲かせることから付けられた名、なのだそう。
別名、「月見草」と呼ばれることもあるそうなのだけれど、
本来、待宵草(マツヨイグサ)と月見草は非常に似た、ルーツも近い植物なのだけれど、別種の植物として区別されているという。
しかし、別種だと区別しておきながら、植物や種としての見分け方に確かなものはなく、
白い花であれば月見草、黄色い花であれば待宵草(マツヨイグサ)と、ざっくりとした区別なのだとか。
私の頭の中では、白も黄色も月見草だったため、
今更区別しようとすると少しばかり、ややこしい。そう思いながら会話を続けた。
私が月見草だと思っていた待宵草(マツヨイグサ)の開花時期は初夏から、今頃まで。
この時季の夕焼けは、甘いピンク色に空を染め上げるけれど、
その、夏の夕暮れどきを待っていたと言わんばかりに、とても可愛らしい黄色い花を一斉に咲かせるそうだ。
その開いた花は、日が落ちきった夜でも目立つほど鮮やかで、
夏の夜の風物詩のひとつと言っても良いと思うと話す彼の表情が、
何か思い入れがある花なのだろうかと感じられるくらい印象的だった。
少しの時間、待宵草(マツヨイグサ)や着物柄の話をし、店を後にした。
月見草だと思っていた花が待宵草(マツヨイグサ)だったことは意外だったけれど、
この字並び、どこかで目にしたことがあるように思え、数日ほど脳内に留まっていたのだけれど、
ある朝、顔を洗っていると竹久夢二の作品で見たのではないだろうかと思い出した。
竹久夢二とは、日本の画家であり詩人、童話作家、作詞家と、幅広いジャンルで才能を発揮していた人物だ。
主に大正時代の諸々を作品として世に送り出した、大正ロマンを代表するような方である。
今でも、浴衣や和小物、その他様々な和風テイストのものを通して、知らずに彼のデザインに触れている方も多いように思う。
その彼が経験した、実ることなく終わった夏の恋から綴られた歌詞の中に、待宵草(マツヨイグサ)が登場する。
※作中では待宵草(マツヨイグサ)を宵待草と記している。
『待てど暮らせど 来ぬひとを、宵待草の やるせなさ、今宵は月も 出ぬそうな』と。
この思いだけを切り取ると、切なくてロマンティックな感情を揺さぶられるけれど、
恋多きことでも知られている彼の一生をのぞくと、抱く印象も人それぞれで面白いと思ったりもする。
話が逸れてしまったけれど、待宵草(マツヨイグサ)が、このように切なさの表現に使われる理由は、
宵を待ってひっそりと咲き、翌朝は太陽を浴びることなく、静かに姿を消してしまう、一日花(いちにちばな)だからだろう。
待宵草(マツヨイグサ)は、リンゴが酸化して茶色くなったような色に変色して萎むため、
その姿から前夜の華やかさを想像する人はいないように思う。
なかなか目にする機会は無い待宵草(マツヨイグサ)だけれども、
浴衣からでもよし、和風小物からでもよし、竹久夢二からでもよし、
触れる機会がありましたら、今回のお話をお好きなカタチでちらりと思い出していただけましたら幸いです。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/