ハロウィンやクリスマス、そしてお正月などの季節行事の準備を促すプロモーションが、
年々前倒しになってきているけれど、
街中のショーウィンドウの中に、早くも秋冬物が並んでいた。
夏がやってきたと感じる頃には夏のセールが始まり、夏真っ盛りの時にはもう秋冬物である。
確かに、晩夏や初秋頃の装いは、何となく気にはなるけれど、
正直、このうだるような暑さの中、ウールやカシミヤのニットやコートは見たくないと感じる私は、わがままが過ぎるだろうか。
大人の事情が絡んでいることは一目瞭然だけれども、世の中が疲弊しなければいいけれど……と思ったりもする。
もちろん、これは消費者的目線と感覚ゆえ、季節のものをその季節に楽しめるということは、
季節を前倒して準備に取り掛かってくださった方々の、おかげであることは重々承知しているのだけれど。
ただ、ここまで前倒し合戦のような状態となると、
作り手の方々に、どのようなシワ寄せが及ぶものなのか。その辺りも気になるところである。
そのようなことを思いながら歩いていると赤信号に足止めされた。
蝉の声を聞きながら横断歩道の先に視線を向けると、見えたショーウィンドウの中も秋冬の装いだった。
もう一層のこと、このギャップごと楽しむかと見上げた信号機の鉄柱には、蝉の抜け殻がくっついていた。
この蝉の抜け殻のことを、空蝉(うつせみ)と言うことがあるけれど、
この言葉が使われていた当初、この「うつせみ」には「この世/この世に生きている人」という意味だったという。
しかし、後に「空蝉」や「虚蝉」という字が当てられ、
いつの間にかそこに、儚さのニュアンスが含まれるようになったのだとか。
それから月日は随分と流れ、時は2018年の夏である。
往来する車の騒音に負けじと鳴く蝉の声を聞いていたら、
木ではなく信号機の鉄柱で脱皮したことが分かる空蝉も含めて、そこから感じ取れたものは、儚さではなく、力強さだった。
人も蝉も、思う以上に逞しく、力強いということかもしれない。
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