早足で駅のホームに到着したら電車が遅れていた。
遅れるのは困るけれど、これで当初予定していた電車に乗ることができると、胸を撫でおろした。
電車遅延の理由には、様々な理由があるけれど、その理由によっては駅員に対して怒りを爆発させる乗客もいる。
それは、日本の電車が、時間通りにホームに到着し、時間通りに出発するという状態が当たり前過ぎるからだろう。
日本という国を知らない外国人に、日本の電車はいつも時間通りに来るというのは本当か?と尋ねられたのは一度や二度ではない。
そして、本当だと答えた後の反応は様々だったけれど、
小さな子どもたちは、日本はSF映画の世界みたいだ、いつか行ってみたい国だ、と言っていた。
そのとき初めて、電車を時間通りに到着させるために、乗客を安全に目的地まで運ぶために、日々尽力している方々に対して感謝したように思うし、
その状態は、世界に誇ることができるものなのだと知った。
未だに刀を腰に差したサムライが居ると思われていたり、
SF映画の世界のような国だと思われていたり、
世界中の美味しいものを食べたいのなら日本に行けば良いと思われていたり、
日本は、とても不思議な国なのだろうと思う。
そのような彼らに、今の日本をどう見せるのか、魅せるのか。
2020年のオリンピックは、そのような視点からも見てみたいと、私個人は思っている。
電車の話から話題が脱線してしまったけれど、
以前、日本人は遅刻に対して非常に厳しいけれど、終了時刻に対しては無頓着だというニュースを見たことがある。
これも、外国暮らしの際に何度か指摘されたことだった。
そのニュース内には、「会議に遅れて到着したことにより、自分の持ち時間が少なくなった時、どのように対処するか。」国ごとの傾向が記されていた。
アメリカ人は、内容を少し薄めて時間内に発表内容を収め、
イギリス人は、予定通りに話して、途中で止める傾向にあるのだそう。
フランス人も、イギリス人同様に予定通りに話すけれど、途中で止めることはせず、話続けるのだそう。
イタリア人は、雑談などの余計な部分を出来るだけ省いて時間内に話終え、
ドイツ人は普段の数倍の速さで話して全てを発表しようとする傾向にあるというのだ。
そして、日本人。
時間内に話す、話さない以前に、大切な発表の時刻に遅刻をするなどあり得ない、という。
そして、このように、時間に厳しい日本人だけれども、残業や会議、その他の会合等が長引く傾向があることから、
終了時刻に関して無頓着な様子が不思議に映るという話にまとめられていた。
ただ、日本は、こうなる必要があった国なのだろうと思ったりもする。
もともと日本人は、時間にとても大らかだったはずだからだ。
時代劇や小説などに登場する「丑三つ時」という時刻の数え方は、
日本独自のものだと言われており、
午前2時から2時半ごろまでを指している。
さすがに、丑三つ時に待ち合わせるということは無かっただろうけれど、
「待ち合わせ時刻は、丑三つ時ね」という会話があったとしたならば、30分もの余裕があるのだから。
遅刻が良いと言うわけではないのだけれど、
その時々で、自分たちに必要なスタイルを選び取ってきている国なのだろうと思う。
そして、保守的だと言われる日本だけれど、意外と攻めの姿勢を持っている国。
そのようなことを思ったりもして。
関連記事:
画像をお借りしています。:https://jp.pinterest.com/