大自然を流れる爽やかな風とまではいかないけれど、
開け放った窓から新鮮な風が流れ込み、部屋の温度を少しずつ下げていく、この時季の感覚が好きだ。
部屋も自分も小まめに換気していると、心なしかフットワークが軽くなるように思う。
その日も窓を開け放ち、作業に没頭していると、食欲をそそられる匂いが窓から流れ込んできた。
キーボードを叩く指を止め、壁掛け時計へ視線を向けると、夕暮れ時だった。
肉じゃがのような匂いがしていると思っていると、今度は鶏の唐揚げらしき匂いが、
しばらくすると、鯖の塩焼きだろうか。
程よく脂がのっていそうな焼き魚の匂いが、私の鼻先をくすぐった。
他所様のお宅から流れ出している、夕食のメニューを知らせる匂いを嗅ぎ分けながら、
家の夕食は何だろうと、胸を膨らませながら帰宅していた子どもの頃の感覚が蘇った。
自分が好きなメニューだったときの嬉しさと、
心躍らないメニューだったときの、地味に肩を落とす、あの気持ち。
しかも、作り手の気持ちや思いを他所に、その気持ちを露骨に表現することが当たり前だったあの頃。
何気ない日常のひとコマだけれども、
その瞬間のひとつひとつが、私にとって平和で温かいものだったということを、
夕食の匂いがする家へ帰る年齢でも立場でも無くなってから時々、このような形で思い出すのだ。
あのときの立場から卒業し、それと引き換えに手にした多くのものを思うと、あの頃に戻りたいとは思わないのだけれど、
家庭の夕食メニューを知らせる匂いは、飲食店から漏れ出すそれとは明らかに異なっており、
戻ることができないからこそ感じられる懐かしさを、撫でるように刺激する。
椅子の背もたれにぐーっと背中を押し付けるようにして背を預けながら、ゆっくりと深呼吸をしていると、友人から連絡が入った。
返信ついでに「他所様のお宅から夕食の匂いがしている」と付け加えると、
返ってきた文面には、理由と共に、あの匂いが苦手だとあった。
感じ方やその理由は人それぞれであり、結び付けられている記憶も十人十色だけれども、
あの匂いは、夕暮れ時と相まって人の胸の奥にある何かを刺激するのかもしれない。
そのようなことを思いながら、もうひと頑張りしたある日。
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