少し肌寒くなってきたこともあり、温かい紅茶を淹れることにした。
私は紅茶好きなのだけれど、先月まで11月1日が紅茶の日であることを知らなかった。
しかも、そうだと知ったときも、語呂合わせのような記念日設定が多い昨今だもの。
失礼ながら、この日付に大した意味など無いのだろうと思い込み、深追いすることなく過ごしていた。
しかし、紅茶専門店へ足を運ぶ度に、間近に迫っている年に一度の紅茶の日を待ち侘びているように見える企画が多数、目に留まったものだから、
その背景を、チラリとのぞいてみたのだ。
今回は、そのようなお話を少し、と思っております。
ご興味ありましたら、身近なドリンクメニューのひとつである“紅茶”の背景を一緒にのぞいてみませんか。
本日11月1日を“紅茶の日”に制定したのは日本紅茶協会で、その始まりは1983年だという。
やはり、制定されてから日の浅い記念日だったかと思ったのも束の間。
紅茶の日は、しっかりとしたエピソードが元になって制定されたことが分かった。
時は江戸時代まで遡るのだけれども、当時の日本は、簡単に外国へ行くことができず、
また、外国から入ってくることも難しい鎖国状態だった。
そのような国の状態の中、ある船乗りと船員たちは遭難し、ロシア領の島に漂着したのだそう。
彼らは、どうにかして日本へ帰国しようと様々な手段を試みたようなのだけれど、日本は、鎖国真っ只中。
日本は遭難した彼らの受け入れを拒否したといいます。
彼らは最終的に、日本に帰国することができたけれど、
帰国できたときには、遭難から10年前後の年月が流れていたのだそう。
その、約10年近い年月の間の生活に関しては、
一筋縄ではいかないことの連続だったように想像するのだけれど、
女帝・エカチェリーナ2世に直接帰国の許可をもらうべく、ロシアを横断しながら
異国の地の人々の信頼を築き上げながら、謁見の機会を諦めずにいたというのだ。
運よく、彼女との謁見も帰国も許可され、帰国の準備をはじめたそうなのだけれど、
帰国前の彼らは、彼女からお茶会に招かれたという。
このときのお茶会が、日本人が初めて、外国の正式なお茶会で紅茶をいただいたことから、
お茶会が開かれた11月1日を紅茶の日に定めたのだそう。
遭難から約10年近い年月を経た11月1日に、特別な場所で口にした紅茶が、
当時の彼らにとって、どのような味だったのを知る術はないのだけれど、
ほっとできる一杯だったのではないだろうかと想像したりする。
今日は、ほっと一息のお供に“紅茶”を召し上がってみてはいかがでしょうか。
その時には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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