電車に乗った。
混んではいなかったけれど、季節柄、国内外からの観光客だろうと察することができる方々が点在していた。
ある駅のホームに電車が到着すると、ホームにはご年配の方々の集団が目に留まった。
私が席を立たなくても十分スペースは在ったけれど、その時がタイミングのような気がして出入口付近に立つことにした。
ドアが開き、ご年配の方々が、元気な笑い声を上げながら入ってきて、一番広く開いているスペースに腰を下ろした。
それから電車は2、30分走り、ある駅に到着した。
そこが目的地だったらしい、ご年配の方々が下車するために立ち上がったのだけれど、
口々に「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」などと言った。
私は、その時点でまで全く何も感じていなかったけれど、横にいた、大きなバックパックを背負った外国人カップルがコソコソ話を始めたのだ。
「よいしょって何?」「皆、言ってたな」と。
始めは、真面目に何だろうと感じて始まったコソコソ話だったようだけれど、電車が再び走り出す頃には、
若干のおふざけが混ざった妄想が2人の間で繰り広げられていた。
私は、所々聞こえてくる2人の会話を拾いながら、確かに「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」とは何ぞや?と思った。
今回は、これらの掛け声の語源を、一緒にのぞいてみませんか。
結論から申し上げますと、「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」の語源は諸説あるようで、
現在のところ、はっきりと断定できる説はないのだそう。
ただ、調べる中で頻繁に目にしたのは、修行僧たちが修行の一環として山を登る際に口に出していた、
六根清浄(ろっこんしょうじょう)という言葉が変化し、「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」になったのではという説だった。
この六根清浄(ろっこんしょうじょう)というのは、仏教用語で、
人が持つ五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)に意識を加えた六つを清浄することなのだそう。
山登りのペースやリズムを保つ掛け声の役割も果たしていたようなので、
その辺りが、立ち上がときなどに、自分にリズムや勢いを付けるための「掛け声」に適していたのかもしれない。
他にも「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」の語源となる説をいくつか目にしたのだけれど、
その中には、このようなものもあった。
イスラエルで使われているヘブライ語は、日本語に似ていると言われているけれど、
日本と同じように、物を持ち上げる際に「ヤイシュ」と言うのだそう。
この辺りの話は、掘り下げたらキリがなく、確実に脱線してしまいそうなので、ここでは割愛させていただくけれど、
日本で使われている「よいしょ」「よっこらしょ」「どっこいしょ」と非常に似た響きと使いどころを持つヘブライ語には、神様に助けを求める意味があるという。
一見、意味など持ち合わせていないような耳慣れた言葉にも、含まれた何かがあるのかもしれない。
それにしても、意識に残らないくらい耳慣れた言葉や行動も、
そうでない人々にとっては、とても斬新な言葉や様子に映るようで、
彼らのおふざけの中には、「よいしょ」と言ったら忍者が出てくるんじゃないか、というものがあった。
思わず、「それは無い!」と心の中で突っ込むと同時に、未だに日本のイメージは忍者、侍なのかと思いながら電車に揺られた日曜日。
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