幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

ふつーって何ぞや?

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贈り物を探していた時のことだ。

ふらりと立ち寄った店内の商品を眺め始めたと同時に、店員に声をかけられた。

内心、もう少しだけ放置しておいていただけると有難かったのだけれども、と思いながら、

しばらくの間、一度は手に取ってはみたものの、「これは違う」と既に答えが出てしまっている商品についての、あれやこれやをひと通り聞く流れになった。

やんわりとかわす術がないわけでは無かったけれど、

不意打ちの声掛けに、完全にタイミングを失ってしまった結果である。

急ぐ用事が控えでいたわけでもなかったけれど、時間があるわけでもないことだけ事前に伝え、彼女の話に耳を傾けた。

しかし、彼女には申し訳なかったのだけれど、全くと言っていい程、話の内容が頭の中に入ってこないのだ。

それは、何度も繰り返された彼女の口癖が、私にとって、とても印象的だったからだと思っている。

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その、何度も繰り返された言葉というのは、「普通」という言葉。

発音を敢えて文字で表現するならば「ふつー」。こう記せば、少しはニュアンスが伝わるだろうか。

その商品の良さを説明しながら加えられた、「ふつーに喜ばれますよ」、「ふつーに使えますよ」、「ふつーに便利ですしね」、「誰でも、ふつーに似合いますよ」といった言葉たち。

時間にして4~5分ほどのやり取りだったけれど、その間に登場した「ふつー」の回数は数えきれないほどであった。

もしかしたら、「普通」という言葉が持つ本来の意味である、「一般的」、「標準的」といった意味で使っていたのかもしれないのだけれど、

総合的に判断すると、「可もなく不可もなく無難な一品です」と紹介されたような気がしたのだ。

そして、それを贈られた側も、可もなく不可もなくといったレベルで最低限の満足は得られますよ、と。

もちろん、店員がここまでの意味を込めて「ふつー」という言葉を多用したようには見えなかったため、

口癖なのだろうと思ったくらいで、気分を害されたというようなことは無いのだけれど、

「ふつー」という言葉は、良くも悪くも、断言をしないことで責任を逃れることができる、

都合のよい言葉としての顔が定着しつつあるのだと感じた出来事であった。

店員と客という関係性以外にも、知人や友人に「これ私に似合ってる?」と尋ねられたとき、

本心では「似合っていない」と思ったとしても、相手との関係性の度合いにより、

本音と気遣いを絶妙な塩梅で混ぜ合わせ「ふつーに似合っているよ」という使い方もできることから想像するに、

現代人にとって便利で都合の良い言葉なのだろう。

日本人らしい気遣いと言えばそれまでだけれども、

私個人は、多用すれば多用しただけ、自分の本音までもが見えなくなるような使い方のようにも見える。

店員が最後に発した「これ、ふつーに良いですよ」に対し、「ふつーって何ぞやー?」と心の中で返した日。

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