数か月ほど前だっただろうか、外出先で偶然手にした紙面上で「ひょうきん」という言葉が使われなくなってきているという話題を目にした。
そう言われてみると、私自身、確かに使わなくなっているし、「ひょうきんな人」という表現を口にしようとすれば、
自分が思う以上に、若干の古臭さのようなものを感じるような気もした。
言葉の中には「旬」と呼ばれるものに左右されてしまう言葉がある。
古い言葉という訳ではないのだけれど、時代の空気に、なんとなく馴染まなくなるのだ。
お洋服にも、永遠の定番だと言われるようなデザインが存在するけれど、
そう言われるデザインも少しだけ、その時代にあったニュアンスを加えることで、
その良さがより伝わり、「永遠の定番」に磨きがかかることがある。
どこか少しだけ、それに似たように感じだとも言えるだろうか。
自分が使わなくなっただけでなく、耳にする機会も無くなっていた「ひょうきん」と言う言葉を、改めて感じてみたときに、
真っ先に浮かんだのは、「ひょうきんな人」「ひょうきん者」という言葉だった。
しかし、そのように表現するよりも、「面白い人」、「ユーモアがある人」という表現する方が、格段分かり易く、
相手と、手っ取り早く、スムースなやり取りが行えるように思う。
「ひょうきん」という言葉自体は、特に流行語だったわけではないのだろうけれど、
このように見向きもされなくなる言葉があるということも、「言葉が持つ面白み」だと思った。
そのようなことを思いながら話題を読みすすめていると、
「ひょうきん」という言葉は、もともと中国から渡ってきた言葉で、
本来の意味は、私たちが使っている「面白い人」、「ユーモアがある人」を指すような意味の言葉ではないのだとあった。
初耳だった私は、時計をちらちらと確認しつつ、話の先を急いだ。
簡単にまとめると、「ひょうきん」は、漢字では「剽軽」と記し、
「身軽で素早い」というような意味と、
「軽はずみで争いを好むこと」を意味する言葉だったという。
日本に渡ってきたばかりの頃は、「軽率」という意味で使われていたこともあったようだけれど、
いつの間にか、軽率でおどけた感じ、滑稽なことをしている様、そのような言動や、そのような言動をしている人自身を指す言葉として使われるようになり、
面白い人や、ユーモアがある人を指す意味として着地した言葉のようだ。
本来はネガティブなイメージを持つ言葉だったと知り、自宅に戻り、何冊かの事典を引いてみたのだけれど、
本来の意味の名残は、「軽率でおどけた感じ」と記される中にある「軽率」という部分だけのようだった。
しかし、きっと多くの人が「軽率」という部分ではなく、「おどけた感じ」という部分にフォーカスしているであろうと推測できる。
言葉も人も、何もかもが本人の思う通りにはならないということだろうか。
思い通りにはならないからこそ見える景色も多いことを思うと、結果オーライなのだけれど。
ひょうきんな人……、ひとり小声で呟いてみたけれど、やはり少し古臭く感じる不思議、ここに在り、である。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/