点けっぱなしにしていたテレビから、今年1年を振り返るようなメロディーが次々と流れてきた。
時折混ざり込む、という表現は語弊があるかもしれないのだけれど、
今年多くの方々に愛されたらしい、耳慣れない演歌が聞こえてくると、一気に年末感に包まれたような気がした。
音楽には、目には見えないチカラが宿っているように思う。
私の脳内は、その、今年を振り返るメロディーに刺激されたのだろう。
残された日数に照らし合わせるようにして、目処がついていない案件を箇条書きにしはじめた。
キッチンに立っていたのだけれど、妙に気持ちが急いてしまうものだから、私はリビングのテレビを無言で消した。
静まり返った空間に響く、お鍋がグツグツと煮えたぎる音が妙に心地良くて、気が付けば、普段通りがそこにあった。
年末と言えば、最近知ったことがある。
除夜というのは「除日の夜」を簡略した言葉なのだそう。
「除」という文字には「取り除く」という意味以外にも、「古いものを手放し、新しいものをお迎えする」という意味もあるそうで、
大晦日は、その年の良いも悪いも一旦そこで締めくくり、新しい年をお迎えする準備をする日であることから、「除日」と表現することもできるという。
そして、その除日の夜に鳴らす鐘ということで、108回鳴らすことでお馴染みのあの鐘を「除夜の鐘」と呼んでいるのだそう。
私は、大晦日の夜から新年にかけて鳴らされる鐘は、物心ついたときから「除夜の鐘」と呼んでいたため、その奥の意味まで考えぬまま過ごしてきたけれど、
鐘を鳴らすことの意味以前に、その名にも鳴らすことの意味が含まれていたのか、と思った。
除夜の鐘というと「108回」鳴らすことで108個あるとされている、人の心身の苦しみを生み出す煩悩をひとつ、ひとつ祓っていく言われている。
これは本来、煩悩を祓って悟りを開くためには、厳しい修行を積む必要があるけれど、
厳しい修行を積まなくても、除夜の鐘を鳴らすことで煩悩を祓うことが出来るという考えから、
除夜の鐘の習慣が世の中に広まり、定着したのだそうだ。
除夜の鐘と言えば108という数字がセットになっているけれど、これも時代なのだろうか。
昨今では、近隣住民からの苦情により、鳴らす鐘の数を減らす寺院や、鳴らさない寺院も増えているという。
その一方で、深夜でも参拝客で賑わうような、大きな寺院であれば、参拝客に対するおもてなしの一環として、
出来るだけ多くの方に鐘を鳴らして満足していただこうと、108回以上、人の数だけ鐘を鳴らす寺院もあるという。
そのようなことを見聞きしたときに、そう言えばと思い出したことがあった。
除夜の鐘を聞きながら年を越したけれど、なかなか鳴りやまぬ鐘に気が付き、
いつまで鳴り続けるのだろうか、鐘を108回鳴らすというのは意外と時間がかかるものなのだなと思ったことがある。
しかし、あの鐘の音は、寺院の方々のおもてなしによって、参拝者の想いが解き放たれた音だったのかもしれない。
除夜の鐘は、鳴らす人の気持ちひとつで祓う鐘にも、背中を押してくれる鐘にも、願いを解き放つ鐘にもなるということなのだろう。
そのようなことを思いつつ、アツアツの鍋料理で体を温めつつ、本格的に始まる師走にほんの少し、気持ちを引き締め直した夜だ。
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