先日、海外に居る友人からのメッセージに、久しぶりにビーチコーミングを楽しんできたとあった。
ビーチコーミングとは何ぞや?と素朴な質問をぶつけたところ、
浜辺を散策して、きれいな貝殻やシーグラス(ビーチグラスとも)、サンゴや個性的な形をした石や流木などを、探し集めることだと教えてくれた。
砂浜を櫛でとかすようにお宝を探すことから、砂浜の「ビーチ」と櫛の「コーム」が掛け合わされ、名付けられたのだとか。
友人は、そのやり取りの中で、日本にもビーチコーミングが趣味だという人が結構いるのだと言っていたけれど、
ワタクシ、ビーチコーミングが趣味だと言う方に出会ったことがなかったため、
そのように呼ばれていることも知らずにいたのだけれど、
映画やドラマのワンシーンで観る、波で洗われて角がとれたガラスの欠片や、
ピンク色をした桜の花びらのようなサクライを拾い集めているあれは、ビーチコーミングと呼ぶものだと、遅ればせながら知るとこととなった。
貝拾いやガラス拾い、流木拾いなどと言うよりも、ビーチコーミングと呼ぶ方が、より趣味らしく聞こえるような気がするのだから、
呼び名と言うものは思う以上に重要な役割を担っているようである。
私のリアクションが薄すぎたのか、友人はしばらくビーチコーミングの話を続けた。
初心者でも探しやすいのは、ガラスの破片が長い年月をかけて波で表れて表面が滑らかに整えられたシーグラス(ビーチグラスとも)なのだそう。
普段は気付かずにいるけれど、砂浜の砂を手で掬い上げて眺めれば、数ミリサイズにまで研磨されたシーグラスが砂に混ざっているという。
中には、ビー玉のような大きさの丸いものもあり、こちらはシー玉と呼ばれ、ちょっとした人気モノなのだとか。
このように聞けば、次から次に素敵なものを見つけられそうな気がするのだけれど、
自分にとってのお宝を探し当てるのは思いのほか難しいという。
特に、ビーチコーミング初心者は、素敵な何かや、面白い何かが自分の視界に入っていることに気付かないことが多く、
普段、見えているようで、多くのことが見ていないことに驚くのだそうだ。
道端に咲く小さな花に気が付いた瞬間、辺りに咲くそれが一斉に視野に飛び込んでくることがあるけれど、
あのような感覚と同じなのだろうと思った。
浜辺に流れ着いているものについての知識があれば、違った楽しみ方もできるというけれど、
自然の中で、ただ純粋に、心惹かれるものを拾い集めることに没頭するだけでも、十分に楽しい時間になるように思う。
冬の海辺は寒いだろうなと想像しながらも、次に浜辺を散策する機会があったなら、自分好みのシー玉を探し当ててみたい。
そのような小さな夢が立ち上がった日である。
皆さんも、浜辺をお散歩する機会がありましたら、ビーチコーミングを通して自然と戯れてみてはいかがでしょうか。
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