私は絵心が無くて……というフレーズを耳にすることがある。
絵心。主に使われている意味としては、絵についての知識や技術、センスといったところだろうか。
それらの有無を、絵心がある、絵心がないと表現されている。
ただ、絵心という言葉は、絵を描きたいと思う気持ち、そのものを表すこともある。
このような時には、「絵心が動く」という表現になるのだけれど、こちらの表現を耳にすることは、そう多くないような印象がある。
先日、子どもが描いたような一枚の絵が目に留まった。
絵のモチーフが何なのか、曖昧な所はあったけれど、ピーンとしなるようにして描かれた耳と丸く塗りつぶされた円らな瞳から、ウサギなのだろうと推測できた。
更にそのウサギを言葉でお伝えするならば、写実的な絵というよりは、ウサギをキャラクター化させたような絵で、
ウサギは、マキシ丈のワンピースを纏っているかのような、二本足で立っていることを想像させるような立ち姿だった。
絵は、筆で書かれたようなタッチで、使われている色は黒一色。
色による派手さはないものの、黒の濃淡を使って描かれた味わい深い絵であった。
私は、このウサギの画を、とあるニュースで目にしたのだけれど、なんと、その絵を描いたのは竹千代の幼名でもお馴染みの、徳川家光だというのだ。
どうして今頃、彼が書いた絵が話題になっているのか?
その出所を探していると、決して上手ではないけれど、その不完全さの中にある味わいや親しみ、愛らしさの虜になる人が増えているのだそう。
昨年、「ダサかっこいい」という言葉が躍ったけれど、「下手」という言葉で切り捨てられるのではなく、ひとつの個性として「ヘタうまい」を楽しむ目線や楽しみ方である。
今年3月から東京都にある府中市美術館では、「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」という企画展がはじまるそうなのだけれど、
そこで、この家光が描いたウサギ、兎図を観ることができるという。
この告知が始まると同時に、家光が描いた絵がネットで拡散され、巡り巡って私の目にも留まったようだ。
私は、家光が描いた絵を今回初めて目にしたのだけれど、不思議な味わいの虜になってしまったのか、
彼の作品を探すことができるだけ探し、観てしまった。
確かに、上手か下手かという視点で捉えるならば、お世辞にも上手だとは言い切れないものもあったけれど、それも悪くないのだ。
そのような次元を超えた、楽しんで描いたのだろう、真剣に描いたのだろう、これは途中で諦めたな、なと感じられるような絵に出会うことができた。
冒頭で「絵心」の意味に触れたけれど、家光の画からも確かに絵心が感じられたのである。
絵を描きたいと思う気持ち、そのものを表す「絵心」が。
絵を通して彼の新たな一面を目にしたような気がした。
家光自身は、自分が描いた絵が、まさか「ヘタウマ」という括りで世に広まることになるとは想像すらしていなかっただろうけれど、本当に、事実は小説よりも奇なり、である。
今回、ご縁あって彼の作品を目にしたのだけれど、これからは、彼のことを心の中で、親しみを込めて家光画伯と呼んでいこうと、はにかんだお昼どきである。
※せっかくなので、家光画伯(徳川家光)の作品を少しだけ載せておきます。
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