今年引いたおみくじは、私にとってグッとくるメッセージが記されていたこともあり、大切に持ち帰った。
本来は、お財布などに忍ばせておくと良いと聞くのだけれど、私は手帳に挟んだ。
しばらくすれば、手帳に忍ばせていることを忘れてしまいそうな気もしているのだけれど、忘れぬうちに、あと幾度かそれを眺め、気持ちを引き締め直そうかしらと思っている。
おみくじは、神社によって使われているものが異なっているけれど、その中身の割り振りも、以前触れたように神社によって様々である。
私が、お詣りさせていただいている神社のおみくじは、とてもシンプルで分かり易いタイプのものなのだけれど、少しだけ物足りなさを感じることがある。
それは、おみくじに和歌が記されていないこと、だ。
もともと、おみくじというものは、
神様であるスサノオノミコトが最初に和歌を詠んだとされていることから、神様は和歌にメッセージを託し届けてくれると考えられてきたという説がある。
時代と共に、おみくじにも変化が表れているけれど、和歌が記されているおみくじは、この考え方のもと、準備されたものなのだ。
新しい1年の運勢を手っ取り早く知りたいという気持ちが先走り、大吉だ、中吉だ、凶だったなどと、そのシンプルな部分に気持ちを引き付けられてしまうけれど、
もとは、おみくじに記されている和歌の内容や、その和歌に登場する言葉、季節など、和歌から見ることができた世界や、感じたことをもとに、新しい年や願いごとを占っていたという。
古い書物を読んでいると日本の神様は和歌にメッセージを込めて人々に届けているのだけれど、
人々は、神官から和歌を受け取ると、和歌の世界を読み解きながら、神様に尋ねたことや願っていることを叶えるためのヒントなど、様々なメッセージを受け取っていた。
しかし、神官がその都度、ひとりひとりに和歌を届けていたのでは、様々な意味で大変なので、
あらかじめ和歌を用意しておき、それを引くタイプの占いに変化したそうだ。
おみくじは、ここから更に人々がメッセージを手軽に受け取ることができる、大吉や中吉、凶、待ち人くる、失せ物出ず、といったシンプルな言葉で表現されたものに変化したようだ。
もし、おみくじを引き、そこに和歌が記されていたのなら、そのおみくじは伝統の流れを汲んだおみくじでもあるので、
大吉、中吉、凶といった言葉に惑わされずに、和歌からメッセージを受け取ってみるのも、一興ではないかと思う。
きっと、和歌から自分が感じたことが自分にとっての答えなのだろうけれど、
おみくじに限らず、自分が自分自身に対して出した答えを信じるというのは、ときに難しいものである。
そう思うと、おみくじを引き、和歌をよみ、この解釈でいいのだろうか、何か正解だろうかと思い悩む煩わしさを解消する目的も、
大吉、中吉、凶といったシンプルさにはあったのではないだろうかと、密かに思ったりもする。
引いたおみくじに和歌が記されていたのなら、本来のおみくじの流れが残されているものです。
そのような時には、心を落ち着かせて、和歌の世界からメッセージを受け取ってみてはいかがでしょうか。
シンプルな言葉からは受け取ることができなかった、素敵なメッセージを受け取ることができるかもしれません。
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