久しぶりに、ご飯を土鍋で炊いた。
好きな音楽を響かせながら、キッチンで黙々と作業をする時間は、私の気分転換のひとつだ。
最近の炊飯器は優秀で、お米の銘柄によって最高の状態に炊き上げてくれたりもするのだけれど、時々、土鍋で炊きたくなることがある。
土鍋の中から聞こえる音が段階を経て変わる様子や、立ちのぼるご飯の香り、鍋底に出来るおこげなど、五感が揺さぶられる感覚がたまらない。
それに加えて、炊飯器のスイッチを押すだけの生活に慣れきってしまっているからなのか、特別なことをしているような気分にほんの少し酔えるところも、何気に気にいっているのだろうと思う。
お米には7人の神様がいると言われているけれど、私はこの話が好きだ。
食べ物を大切にする気持ちを育むための言葉だったのだろうけれど、素敵な発想だと思うのだ。
7人の神様とは?という問いの答えは七福神のことだ、七貴人のことだ、など諸説あるのだけれど、私が個人的に気にいっているのは随分と前にどこかで見聞きした、土、水、雲……と続く説。
土、水、雲の後は、風、太陽、虫、お米を作ってくれる人と続く。
飽食の時代は、「無理して食べなくてもいいよ」という声を耳にする機会も多く、そのようなシチュエーションに身を置くこともあるのだけれど、
お米には7人の神様がいるから、一粒残さず美味しくいただきましょうという発想には、食べ物を粗末に扱ってはいけないという戒めだけでなく、
小さなハッピーに気付き、それらを丁寧に感じられる心や感性を育んでくれるチカラも含まれているように思う。
先人たちが、どれほどお米を大切にしてきたのか。
それは、私たちの何気ない生活の中の至るところに散りばめられている。
例えば一般的には、ご飯茶碗は左手で持ち上げるけれど、これもそのひとつだ。。
日本では古から、左の方が位が高いとされており、重要なものは左側に配置する「左上位」という考え方がある。
この考え方をもとにして、ご飯茶碗は左側に配置するようになったという説があるのだけれど、更に私たちは、ご飯茶碗を持ちあげることで神様たちに感謝の気持ちを伝えていたのだとか。
ご飯茶碗をテーブルに置いたまま、ご飯を掬い上げるようにして食べるとお行儀が悪い、マナーが悪いと言われるけれど、
本当はマナー云々の前に、そうしてきた意味がそこには在るのだ。
日本人らしい考え方だと言えばそれまでのことなのだけれど、このような繊細さは真似しようとしてできることではないように思う。
お米には7人の神様がいるから、一粒残さず美味しくいただきましょうという言葉、久しぶりに聞いたわという方もいらっしゃるかもしれませんね。
今夜は、お茶碗の中をのぞきこんで感じてみてはいかがでしょう。
ハッピーを届ける気満々の神様たちが、にんまりと微笑んでいるかもしれません。
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