窓を開け放ち部屋中の空気を入れ替えていたのだけれど、その日は冷え込みが厳しく、部屋の温度がみるみるうちに下がっていくものだから、暖房の設定温度を1℃上げた。
新鮮な空気が十分に行き渡ったところで窓を閉めると、室内温度がじわりじわりと上昇し、
少し前にいただいた、マゼンタカラーが素敵なニコライバーグマンのフラワーボックスが、窓から差し込んできた陽射しに照らされ、冬うらら(冬麗)という言葉が浮かんだ。
冬麗と書いて、「ふゆうらら」「とうれい」と読むのだけれど、冬の冷え込みは厳しいけれど、穏やかな陽射しに包み込まれるような日を表す言葉だ。
麗か(うららか)という文字を見ると、春を連想してしまうけれど、
小春日和という言葉が春を表しているのではなく、11月の晩秋辺りから12月の初冬頃にかけて使う言葉であるのと似て、
冬麗(ふゆうらら/とうれい)も冬の日を表す言葉だ。
今季初めて、冬うらら(冬麗)という言葉を思い出したのだけれど、節分、立春を前にしたこの時季に使うにはギリギリ間に合った感は否めない。
少し先のことを取り入れることを粋だとしていた先人たちから見れば、「今頃“冬うらら”ですって?それは、野暮なことですわね」などと言われ兼ねないけれど、
どのような物事も、始めることに、気が付くタイミングに早いも遅いもなく、
何ごとも思い立ったが吉日、感じられた瞬間が、気が付いたその時が、自分にとってはベストタイミングだと思っている私にとっては、
ギリギリ間に合ったこの瞬間が、冬うらら(冬麗)を感じられるベストタイミングだったのだろうと思う。
そう言えば以前、冬うらら(冬麗)の表記癖を指摘されたことがあった。
一般的に、「冬うらら」は「冬麗」と記されるのだけれど、
私の耳には、とても柔らかい響きに聞こえること、柔らかい景色と共に思い出す言葉であることが理由となって、
自由に言葉を紡ぐことができる場面では、敢えて「冬うらら」と平仮名で記すことが多いと答えた記憶がある。
もちろん、その時々のシーンに合った表記を使ってはいるのだけれど、正しい、間違いという枠を超えて楽しむ機会や遊び心があっても良いように思う。
皆さんが感じている冬の景色に合うのは、「冬うらら」でしょうか、「冬麗」でしょうか。
はたまた「フユウララ」か。
日々の景色を言葉とともに切り取って眺めるのも悪くないものでございます。
そのようなことをポツポツと思いながら、フラワーボックスのお手入れをする朝でした。
いつも足を運んでくださる皆さん、過去記事まで遡って読んでくださっているあなたに感謝の気持ちを込めまして、今日も良き日となりますように☆彡
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