歯を磨きながら、いつの間にか傷が塞がっていることに気が付いた。
今年の春先、数年ぶりに重い腰を上げて歯科クリニックへ行った。
歯科嫌いな私にしては、よくやったと褒めるに値する、春一番の出来事である。
引っ越しが続いたこともあってかかりつけ医を探すことが出来ぬまま数年間、放置してしまったにも関わらず、お口の中は全て良好だと聞いて胸を撫でおろしたときだった。
医師が言った。
「ただね、親知らずの欠片が出てきてるんだよね、これから抜きましょう」と。
初めての歯科クリニックで、予想外の抜歯である。
しかも、抜いたはずの場所に在るという親知らずの欠片とは何ぞや?
蚊の鳴くような声で「……はい」と答えると、私が事前アンケートに歯科嫌いだと書いている患者だと気が付いたのか、「日を改めましょう、そうしましょう、それがいいですね」と気を遣っていただくことに。
こちらも何だか申し訳なくなったものだから「抜いて下さい、今日抜いてください、お願いします」と早口で返してしまった。
そのやり取りをそばで聞いていた衛生士さんの可愛らしい笑い声に、私の緊張もほぐれ、抜歯を無事に終えた。
途中、大人のそれとは言い難いやり取りもあったのだけれど、所用時間は3分程度。
終わりよければ全てよし、案ずるより産むが易しとはこのことだろうか。
私の親知らずは、過去にお世話になっていた歯科クリニックで抜いてもらったのだけれど、スポッと抜かれていたのではなく根元が残った状態でバキッと折ってあったという。
正確には、折れてしまったから根元から抜くことができなくなったのだろうという話で、その歯が時を経て押し上げられ、今回頭を出していたため抜くことになったわけなのだけれど、「何よそれ」である。
過去の記憶を手繰り寄せていると、妙な音、ミシミシバキッという妙な音が脳内に響いた抜歯経験が脳裏を過った。
あの時、「親知らずは、根元が残った状態で折れています」と知らされたり、
経過観察しかできない状態であるにも関わらず、「以前抜いた親知らず、抜けていません」と伝えられていたら、妙な不安を持ったまま過ごすことになっていたように思う。
レントゲンで見ていたにも関わらず、歯科嫌いをしっかりと伝える私に対しては「時が来るまで伝えない」という選択がベストだと判断し、
伝えずに現状を見守ってくださっていた医師の皆さんに静かに感謝した。
知らなくていいこと、知らない方がいいことというものがあるけれど、
そこには、知っている側の人の、伝える伝えないという選択や、知らせるタイミングを見極めるという種類の心遣いがあるということを改めて。
こうして感謝はしているのだけれど、やはり歯科クリニックは苦手なのよねと思いながら歯ブラシを置いた朝である。
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