途切れ途切れに聞こえてきた会話は、何かを失敗してしまい「反省している」という内容のものだった。
内容は分からなかったけれど、深く反省していることが伝わってくるような声の表情をしていた。
何を思うでも感じるでもなく、すぐに手元のスマートフォン画面に意識と視線を移したのだけれど、
その方が発している「反省している」という話と言えばいいのか、反省の勢いと言えばいいのか、しばらく経ってもその話が止むことはなかった。
次第に、聴こうとせずとも聞こえてくる反省っぷりに、こちらまで胃の奥がキリキリと痛み出しそうで、思わず席を移動した。
同時に席を立った方と目が合ったけれど、多分、同じ目的で席を立ったのだろうと思った。
失敗したり、誤ってしまったりしたときのことを、どうしてそうなったのだろうかと考えることや、考えて次に生かすことは大切なことではあるけれど、
それも度を過ぎてしまうと、なかなか厄介なことなのだと見せられたような気がした。
そう言えば多くの偉人たちが、反省はしない方が良いという類の言葉を残している。
もちろんこれは、反省することや反省する人を否定したり悪く言っているのではなく、反省にもコツがあるのでは?と考えさせられる言葉である。
例えば、何か失敗をし、そのことを一日の終わりに一人静かに反省したとしよう。
この時に、何か前向きな思いや考えに達して眠りにつくのであれば、失敗も意味のあるものになるけれど、
自分自身のダメな部分に全意識が向かっていってしまうと、自分と誰かを比較して要らぬことを感じ考えてしまったり、自分を無駄に追い込んでしまったり、何もいいことはない。
しかも、本題である内容から随分とかけ離れたところに着地してしまい、翌日の活力を蓄えるどころか、心身が疲弊してしまう。
それならば、疲れているときや失敗して落ち込んでしまった日は、反省などせずに、まずはしっかりと眠り心身を回復させ、
反省が必要だと判断したのであれば、前向きな思いや考えを着地点に反省する方が、前向きに力強く生きていくことができるのではないか、という類の話である。
失敗した本人にしてみれば、失敗を気にせずに、まずは眠りなさいと言われたところで、モヤモヤが増すようにも思うけれど、失敗と向き合うにも、自分と向き合うにも、エネルギーは必要である。
まずは眠ってから、まずは一服、まずは深呼吸。
失敗したときだったとしても、それくらいの余裕があってもいいのではないだろうかと思う。
私たちの日々の中で起こることは、エネルギー補給をしてからでも遅くないようなことがほとんどなのだから。
先日猛省していた方は、ご自身が思う自身の欠点を延々と述べていらっしゃったのだけれど、シチュエーションが変われば長所は短所に、短所は長所にもなるもの。
今回、それがどのようなシチュエーションでどう表れてしまったのかは存じ上げないけれど、
反省するにもコツがあるということなのだなと感じた出来事である。
慌てない、慌てない、まずは深呼吸。
大丈夫、大丈夫、まずは深呼吸。
そのような魔法の言葉を胸の片隅に忍ばせて、今日もまいりましょ。
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