普段はエネルギーが有り余っているようなタイプの知人が、その日は何やらグッタリとしていた。
どうしたのかと尋ねると、ここのところ小学生のオチビさんのことで呼び出されることが多いのだという。
数日前は、通っているという塾でカンニングが発覚し、初めてのことだったことから塾講師から夫婦間で何かあったのではないか?とあらぬ疑いを投げかけられたという。
思い当たるようなことが無かった知人はその夜、まずは、どうしてカンニングなどしたのかとオチビさんに訊ねたという。
すると、「カンニングがズルいことで悪いことだとは知っているけれど、カンニングというものがどういう感じのことなのか、やってみたかった」と言ったらしい。
そして、やってみて思ったのは、カンニングは面倒くさくて自分には合わないからもうしないと言ったと言うのだ。
私は、小さいならがも冷静に物事や自分のことを把握、分析できていて、このような成長の現れ方もあるのかと関心したのだけれど、親の立場からすれば当然、思うことも対応の仕方も変わることから知人は頭を抱えグッタリしてしまったそうだ。
「カンニング」と言えば、日本ではテストの答えを不正に知ることを指しているけれど、
「カンニング」という言葉そのものには、不正を指す意味は含まれていない。
形容詞として使われる英語の「カンニング」には、「ずるい」という意味があるにはあるのだけれど、
日本語でいう「カンニング」に含まれるような「ずるい」の意味はなく、「賢い」という意味に「ずるい」というニュアンスをトッピングしたような、良い意味で使われる「ずる賢い」という意味が「カンニング」である。
だから、日本語感覚のまま英語で「あの子はカンニングをした」と言うと、
あの子は不正行為をしたという意味ではなく、「あの子はテストで良い答えの導き方をした」という意味になり、褒めることになるのだ。
英語圏ではもともと良い意味で使われていた「ずる賢い」が、時代を経る中で悪い意味でも使われるようになった節もあるらしいので、
このことも多少関係しているのか、日本では、テスト時に行われる不正に対して「カンニング」という言葉が使われるようになっているようだ。
私はカンニングという言葉が和製英語だと気付く機会がなかったものだから、
海外で交わす会話の中でこの単語を使う度に、話が思うように噛み合わないという経験をして初めて知った言葉の背景である。
知人の子育ての話を聴きながら、前に母が私に言ったことを思い出した。
子どもは良くも悪くも親が思う通りには育たないことが多い。若かったこともあるけれど、私もアナタのこと、大変だったもの。アナタはアナタで当時は大変だったのかもしれないけれど。と
まぁ、物申したい気持ちと、その節はどうもありがとうという気持ちが半々に入り乱れるのだけれど、子育てはいつの時代も親と子が一緒に成長していくもの、ということなのだろう。
そのような、あれやこれやに思いを馳せた日。
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