時折見返すもののひとつに、今は亡き書道の恩師からいただいた筆文字のお手本帖なるものがある。
学生の頃にいただいたものなので、色褪せも劣化も激しいのだけれど、自分で書く手書きの文字が崩れてきたように感じたときに、
そのお手本帖をパラパラと眺めていると、視覚を通して基本感覚に修正されるような気がしている。
自分で習いたいと言って始めた習いごとで、実際にやってみてやめたいと思ったことは一度も無かったため、私に合う習い事だったと思っているのだけれど、
それ以上に、あの恩師だったからこそ、一度もやめたいと思わずにいられたのだという思いが、年月を経るにつれて増している。
やめたいと思ったことは無いけれど、今日は書きたくないと思ったり、サボりたいと思うことはそれなりにあった。
しかし、恩師は、そのような状態の私に「書きたくなったらおいで」と言ってくれていた。
そう言われると不思議なもので、わりと直ぐに書きたくなり、その日の内に恩師宅の玄関チャイムを鳴らすこともあったし、次のレッスン時に普段以上の集中力が出ることもあった。
子どもを信頼するというのは時に難しいことでもあるけれど、あれは信頼してもらえていたのだと気付くことができたのは、恩師が旅立った後である。
その恩師がいつだったか、正座に疲れて両足を放り出して休憩する私に、特大サイズの飴玉
を手渡し、大昔の日本人は正座なんてしなかったのだと教えてくれたことがあった。
正座といえば、日本人の十八番ともいえるような座り方だけれど、江戸時代に入る頃までの座り方と言えば胡坐が一般的だったという。
胡坐以外にも足を横に流すようなスタイルや膝を立てて座るスタイルがあるけれど、これらの正座以外の座り方を、その時々で選んで使っていたのだそう。
そしてこれは、男性に限ったことではなく、女性もなのだとか。
ただ、今でいうところの正座というスタイルは古くからあり、「正座」という名は無かったものの、神事の場や高貴な方の前に座るときなどにのみ使われていた座り方だったようだ。
恩師は、このような話をしながら、「だから、正座で足が痺れると集中力がないとか言う人もいるけれど、そもそも正座に慣れていないから痺れるのは当たり前。痺れが引くまで休憩していいよ。」と言ってくれていた。
大人になり、このときの話を思い出して更に調べを進めたことがあったのだけれど、正座と呼ばれる座り方が広がった理由には、
正座をし易い生活環境が広く整ってきたことや、狭い茶室のような場所にある程度の人数の人が座るためには、コンパクトな正座スタイルが好都合だったことなど諸説あった。
これが理由だというものは未だ探し当てられてはいないけれど、私たちに馴染み深い「正座」は、古くて意外と新しい座り方のようである。
お手本帖をパラパラと見返しながら、そのようなことを思い出した、ある雨の日。
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